安永 徹&市野あゆみ デュオ・コンサート

 令和2年(2020年)10月17日、札幌コンサートホールKitara小ホールでベートーヴェンヴァイオリンソナタを聴いてきた。改修前に小ホールで聴くのはこれが最後となるだろう。プログラムは、演奏順にベートーヴェンヴァイオリンソナタ第6番、第10番、第9番。アンコールはシベリウスグラズノフの曲だった。

 演奏は期待通りでヴァイオリンとピアノの息もよく合っていた。おそらくヴァイオリンのソリストならもっと派手にゴリゴリした感じで弾いたと思うが、やはり一定の枠から外れない堅実さがある。

 安永さんというベルリン・フィルコンサートマスターを83年から2009年まで26年間務めていた。たとえベルリン・フィルとはいえやはりコンサートマスターの音色はソリストとは違い、華やかさとか艶っぽさに欠けるところがあるが、その分、堅実でわかりやすい面もある。

 ベルリン・フィルコンサートマスターがソロを弾いている録音はいくつかある。古い録音では44年のフルトヴェングラーベートーヴェンヴァイオリン協奏曲でソリストコンサートマスターのエーリッヒ・レーンが弾いている。70年代には四季でミッシェル・シュヴァルベがカラヤンの指揮で録音を残している。シュヴァルベは、80年頃だと思うが、北電ファミリーコンサートでベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を、シュヴァルベの弾き振りにより札幌市民会館で聴いている。昨年1月にはインキネン指揮プラハ交響楽団の演奏、現ベルリン・フィルコンサートマスター樫本大進のソロでブラームスのヴァイオリン協奏曲をhitaruで聴いている。いずれもソリストのような華やかさはないが堅実な演奏だった。

 安永さんは、80年代にカラヤンソニーと契約して映像をたくさん残すようになったときにいつもコンサートマスターとしてカラヤンの脇で弾いていた。その頃のカラヤンのLDはよく買っていた。この日も安永さんの演奏を聴きながら当時のベルリン・フィルの音を思い出していた。

 安永さんが札響のコンサートマスターとして演奏するコンサートが今年は中止になってしまったが、来年は是非実現して欲しい。

札響名曲シリーズ 2020 「ベートーヴェン、皇帝に捧ぐ」

 令和2年(2020年)10月10日、札幌コンサートホールKitaraで首記の札幌名曲シリーズを聴いてきた。コロナ禍の中で定期は3回、新hitaru定期は1回中止になったが、名曲シリーズは演奏者と曲目の変更はあったが4回すべて開催された。11月から来年6月までKitaraが改修になるが、名曲シリーズはKitaraでの演奏ということがテーマになっているため来年は8月からシリーズが始まるらしい。

 指揮は当初、マックス・ポンマーだったが、来日できないため秋山和慶に変更になった。入場制限が緩和されて6割ぐらいは入っていただろうか、再開後では一番聴衆が多かった。

 指揮者は変更になったがプログラムに変更はなかった。ただ「水上の音楽」がハーティー編に変更になった。ヘンデル 「水上の音楽」組曲(ハーティー編)、メンデルスゾーン真夏の夜の夢」より序曲~スケルツォ~間奏曲~ノクターン~結婚行進曲、ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」。ピアノは小山実稚恵。編成は12型だった。

 

 1曲目は「水上の音楽」。バッハの教会での音楽とは対照的にヘンデルは王宮での華やかな音楽をたくさん書いた。金管楽器が華々しく活躍するフレーズがところどころに出てくる。弦と管のバランスもよく取れていた。

 2曲目は「真夏の夜の夢」からの抜粋。序曲はプレヴィンやクーベリックの演奏をよくレコードで聴いているので、この曲の演奏は楽しみにしていた。冒頭の弦楽器の細かいフレーズが曖昧にならず、またヴィオラや低弦のピチカートもはっきりと聞き取れた。繊細な弦の音と透明感がある木管がとてもよかった。スケルツォは管楽器と弦楽器のバランスがよく取れていて、速い曲でも音と音の間が流れることなくリズムをしっかりと刻んでいた。間奏曲は、重く暗い演奏もあるが、秋山と札響のコンビは爽やかさと清涼な雰囲気で演奏していた。この方が喜劇に合っていると思う。ノクターンは、けだるく悲しい雰囲気の演奏もあるがホルンの豊かに広がる響きがとても暖かい雰囲気を醸し出していた。結婚行進曲は堂々とした厚い響きが印象的だった。「真夏の夜の夢」は、天使のいたずらで好きな相手があっちに行ったりこっちに行ったりして最後は2組の夫婦が誕生するという喜劇で、結婚行進曲はめでたしめでたしとなる大団円の場面だ。それに相応しい演奏だったと思う。

 

 3曲目は「皇帝」。6日のベートーヴェン交響曲第8番もそうだったが、この日の皇帝もこれだけの演奏は聴けないのではというぐらいの名演だった。実演でも何度か聴いているしレコードでも名盤があるが、この日の演奏はそれらを凌ぐと言っても過言ではない。それぐらい指揮者とオーケストラとピアニストが一体となり互いに刺激し合いながらいいところを引き出していた。

 第1楽章は、冒頭の力強い和音に始まり、それに続く勢いがあるカデンツァが見事。最初から最後まで明晰さと力強さを失わない。第2楽章では深く叙情的な響きが印象的だった。第3楽章の冒頭でのピアノの力強い出だしは大地が響くような演奏で、フルトヴェングラーとE・フィッシャーの録音を想起させるほど。小山の明晰さと力強さに札響も対等に演奏していた。名曲シリーズは、肩の力を抜いて気楽に聴ける演奏会であることが多いが、こんな真剣勝負の演奏が聴けるとは思わなかった。指揮者の秋山は今週二度にわたり札響で名演を残してくれた。

 アンコールはグノーのアヴェ・マリアのピアノ協奏曲版とでもいうのだろうか。この曲はもともとバッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻の第1番前奏曲を伴奏に旋律をつけた曲だが、その伴奏をピアノが弾き、旋律をヴァイオリンソロから始まってオーケストラの各楽器が演奏していた。涙をさそうような演奏だった。

 

 8月に新・hitaru定期の時、札響の事務局長の方が「札響の音は変わりました」と語っていたが、それが本当に実感できるようになってきた。

オーケストラでつなぐ希望のシンフォニー

 令和2年(2020年)10月6日、「オーケストラでつなぐ希望のシンフォニー」の札幌交響楽団の演奏を聴きに行ってきた。これは全国各地のオーケストラが、生誕250年を迎えたベートーヴェンの音楽を一つずつ奏で、日本をつないでいく、というコンセプトでNHKが企画したもので11月に曲順どおりに放送される。

放送予定は11月 1日 交響曲第1番 広上淳一指揮 京都市交響楽団

            交響曲第2番 飯守泰次郎指揮 仙台フィル

     11月 8日 交響曲第3番 高関 健指揮  群馬交響楽団

            交響曲第4番 小泉和裕指揮  九州交響楽団

     11月15日 交響曲第5番 坂 哲朗指揮  山形交響楽団

            交響曲第6番 尾高忠明指揮  大阪フィル

     11月22日 交響曲第7番 川瀬賢太郎指揮 名古屋フィル

            交響曲第8番 秋山和慶指揮  札幌交響楽団

          劇音楽「エグモント」下野竜也指揮 広島交響楽団

となっている。

 第九はNHK交響楽団が演奏することになっているようだが日時はまだ決まっていない。当選して送られてきたチケットには「終演予定午後8時10分(開演午後7時)」と記してある。NHKらしく終演時間も丁寧に記載されていて、演奏時間も第九に合わせた時間配分になっているのかもしれない。

 

 指揮は秋山和慶。プログラムは、プロコフィエフ 古典交響曲武満徹「乱」組曲ベートーヴェン交響曲第8番。編成は12型だった。

 

 1曲目の古典交響曲は実演でも何度か聴いたことがあるし、レコードなどでもいくつか持っている。録音ではチェリビダッケのリハーサル付の映像が印象に残っている。その時は、演奏者が少し笑いを浮かべながらのおどけた感じの演奏だった。他にはテンポが速い一気呵成に進んでいく演奏もよくある。しかし、この日の秋山さんと札響の演奏は、どちらでもなくスケールが大きいシンフォニックな響きが際立っていた。この曲の特徴の一つに第1楽章と第4楽章によく出てくるフォルテッシモがある。その鳴らし方が鋭く厚い響きだった。弦楽器と管楽器が一体にならないとこれだけの響きは出てこないが、それが次々と決まっていた。スケールの大きさの中に細かい強弱の変化もはっきりと聞き取れた。

 

 2曲目は「乱」組曲。札響は85年に黒澤映画の「乱」のオリジナルサウンドトラック盤を岩城宏之の指揮で録音している。その頃の楽団員はもういないだろう。サウンドトラック盤では和楽器や効果音が使われたりしているが、この組曲ではそういう箇所は省かれているようだ。この日の演奏はホールの残響を十分に生かしていて、サウンドトラック盤よりも神秘さとか深淵さが増していた。

 

 3曲目はメインのベートーヴェン交響曲第8番。今回の企画でベートーヴェン交響曲第8番を演奏する札響は一番地味な曲に当たったという感じが正直あった。しかし、古典交響曲がスケールの大きい演奏だったので第8もおそらくそういう演奏になるという期待が出てきた。果してそれは期待通りの雄壮な演奏だった。

 第1楽章の冒頭から勢いがある力強い出だしだった。それに中間部の盛り上がりも見事だった。各楽章での管楽器のソロもとてもよく、第4楽章でもリズムが変化するところも聴き応えがあった。古典交響曲でも聴けた、スケールの大きさと細かい変化の融合は第8交響曲でもはっきりと聴くことができた。

 アンコールはモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」序曲。9月30日に名曲シリーズで高関健の指揮で聴いているが、編成が少し大きいのと配置が違うためかより厚い響きで聴くことができた。

 古典交響曲も第8交響曲もイメージでは箱庭的な意匠を凝らした演奏になるのではという予想をしていた。それば全く違う演奏だったので聴いていて驚きの連続だった。帰宅してからアンセルメの古典交響曲カラヤンクーベリックの第8交響曲を聴き直してみたけど、秋山札響コンビの演奏は名曲名盤の世評が高い演奏とは違う堂々とした演奏だった。

 第8交響曲が放送されるようだが、古典交響曲も録画されているようなので是非放送して欲しい。

札響名曲シリーズ 2020 「めくるめく夢幻∞ワルツ」 6月20日振替公演 

 令和2年(2020年)9月30日、札幌コンサートホールKitaraで札幌名曲シリーズを聴いてきた。指揮は当初、マティアス・バーメルトだったが、コロナ禍の中で来日できないため東京シティ・フィル常任指揮者の高関健に変更になった。オーボエは札響首席の関美矢子、トランペットは札響副主席の鶴田麻記だった。

 再開後、初めて当初の指定席で聴くことができ、隣席にも人がいた。客席がいいのならステージ上も間隔を取る必要もなくなり、大編成の曲が演奏出来るようになる日も近いかもしれない。

 プログラムも当初はワルツばかりで編成が大きな曲もあったが、モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」序曲、オーボエ協奏曲ハ長調K314、ハイドン トランペット協奏曲変ホ長調ヨハン・シュトラウスⅡ 喜歌劇「ジプシー男爵」序曲、ワルツ「南国のバラ」、「皇帝円舞曲」というプログラムになった。弦楽器の編成はトランペット協奏曲までが、10型、後半途中のヨハン・シュトラウスの曲から12型となった。どちらも第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンがステージの両側に配置される対抗配置だった。 

 

 1曲目は「フィガロの結婚」序曲。フィガロに限らずモーツァルト管弦楽曲はレコードで聴くときは良くても、実演で聴くと平板に聞こえることが多い。大ホールでは編成が小さくなると強弱の差がよく分からなくなるためだと思う。この日も10型で編成が小さかったが曲が始まったときにその不安は払拭された。軽快で強弱がはっきりしているこの曲の特長がよく表現されていた。

 2曲目はモーツァルト オーボエ協奏曲。オーボエは札響首席の関美矢子さんで9月16日にリサイタルを聴いているし、昨年のポップスコンサートではスターダストのソロも聴いている。安定した冴え渡る響きが印象的だった。

 

 休憩後の3曲目はハイドン トランペット協奏曲。トランペットは札響副首席の鶴田麻記さんで昨年のポップスコンサートでムーンリバーを聴いている。この時は少し緊張気味であまり調子がよくないのかなという感じがあった。今回のトランペット協奏曲はとても冴え渡る響きでとても良い演奏だった。

 4、5、6曲目はヨハン・シュトラウスⅡの曲が続く。4曲目は喜歌劇「ジプシー男爵」序曲、5曲目はワルツ「南国のバラ」、6曲目は「皇帝円舞曲」。有名なウィーン・フィルニューイヤーコンサートでもよくかかる定番の曲だ。出過ぎることも足りないこともなく定番の曲が聴き慣れたとおり楽しんで聴くことができた。次のここはこうして欲しい、ああして欲しいという期待どおりに演奏されていた。それはアンコールのトリッチ・トラッチ・ポルカラデツキー行進曲でも同じだった。会場の拍手も一体となっていた。

 

 

札幌中心部の移り変わり

 北海道の報道番組で札幌市中心部のこれからの再開発について特集していた。すすきのから札幌駅周辺まで再開発や建替の計画の紹介だった。これだけ札幌の中心部が変わるのは72年の札幌オリンピック以来となるが、今の再開発は規模からしてその頃をはるかに上回っている。物心ついたときから札幌に住んでいるので記憶を辿りながら街の移り変わりを記しておきたい。もしかしたら記憶違いもあるかもしれないが一応記憶しているとおりに書いていくことにする。

  • すすきのラフィラ跡

ここは札幌オリンピックの直後に松坂屋として始まった。この頃、札幌でデパートというと大通の三越丸井今井、札幌駅前の五番館(現在は解体)だった。松坂屋ができたときは三越や丸井(当時は南1条館だけ)よりもフロア面積が広く、1フロアにエスカレーターが2基あったり、外の景色が見える展望用エレベーターがあったりして新鮮だった。しかし、その後、三越前にパルコができ、丸井も大通館をオープンさせるなどして大通にまた人がもどっていった。松坂屋イトーヨーカドーと提携してヨークマツザカヤになり、その後、ロビンソンになってラフィラになった。

札幌オリンピックの頃、松坂屋の西側(今は東急レイホテル)にスケート場があった。このスケート場に札幌オリンピックまであと何日という表示板があった。電車に乗る度に数字がすこしずつ減っていくのを見ていた。スケート場の前は西本願寺幌別院があり、昭和37年に現在の北3条西19丁目に移転した。

すすきのには映画館もあった。今、ラウンド1になっているところには東宝公楽があってゴジラの映画を上映していた。メルキュールホテルの前はアオキボウルとエンペラーがあったが、その前は大映の映画館でガメラの映画を上映していた。その向かいのホテル東横インには日活の映画館があった。その頃は大きな看板がかかっていても良かった時代だった。

新しくなる建物にはTOHOシネマズと東急ホテルイトーヨーカドーが入るらしい。またすすきのに映画館が戻ってくる。

 

 

  • 千秋庵跡とサンデパート跡と狸小路周辺

 千秋庵跡はコロナ禍の中、4月に新しくオープンした。正月に和菓子などを買いによく行った。ここのソフトクリームは独特でとてもおいしかったのだが、大通公園の北側に大通ビッセや北菓桜などができて客足が遠のいた感じがある。オープンした後、一度ソフトクリームを食べたいと思って立ち寄ったがすでに先客があり、密になりそうなので止めた。あの頃の味は戻っているのだろうか。

 今、再開発されているサンデパート跡(ドンキホーテ跡またはそうご電気YES跡)がある。サンデパートの頃を覚えている。札幌の中心部の賑わいは大通だった。休日となると三越も丸井も食堂(今はファミリーレストランというらしい)は混んでいて、いつ食べられるか判らない状態だった。そこから逃げるように南に行くとサンデパートがあり、ここの食堂を時々利用していた。サンデパートは松坂屋やパルコがオープンすると次第に客足も遠のき、84年にそうご電器YES店が入る。札幌では一番大きな家電販売店だった。しかし、90年代中頃に札幌駅ガード下(現在はツタヤ)にヨドバシカメラが進出してきた頃から客足が遠のき、97年に北海道拓殖銀行破綻でそうご電器も倒産した。その後どうなるかと思っていたらドンキホーテが入った。ドンキホーテも現在はアルシュに移転して営業している。

 サンデパートの隣には松竹映画館があった。寅さんやドリフターズの映画を上映していた。この松竹映画館とすすきのの東宝公楽と南2条西5丁目の東映は、札幌シネマコンプレックスの開業に伴い閉館した。丸井今井の東側に東宝日劇という主に洋画を上映していた映画館もまもなく閉館になった。

 

狸小路はアーケードがある商店街でサンデパートがあった頃はそれなりに賑わいもあった。中川ライター店(4丁目)ではプラモデルが売っていたし、茶屋碁盤店(3丁目)ではボードゲームなどが売っていた。両店ともデパートより品揃えがよかった。茶屋碁盤店は火災(何年前かははっきりとは覚えていない。30年ぐらい前か?)で焼失した。中川ライター店はコスモ(現在のナナイロ)内にも店舗があった。ここにはよくプラモデルを買いに行った。

その他狸小路2丁目には金市館があった。ここは後にラルズとなったが、今はパチンコ店になっている。

4丁目のエイト(現在のアルシュ)の1階にはヤマハが入っていてレコード売場があった。昭和52年(77年)には地下2階と1階には旭屋書店が入った。エイトのレコード売り場はCDが普及する頃になくなったような気がする。旭屋書店は当時、札幌で一番大きい書店だった。地下1階には文房具店もあって舶来の万年筆も売っていた。閉店するときモンブランの万年筆をバーゲン価格で買ったことがある。旭屋書店はJRタワーができた時に移転したが、結局、撤退し今は三省堂書店になっている。旭屋書店跡はパチンコ店になり、今はドンキホーテが入っている。

狸小路3丁目にはキクヤというレコード店もあった。クラシックのレコードはここと玉光堂すすきの店の品揃えがよかった。すすきの店は2階ワンフロアがクラシックだったが、CDの普及とともにクラシック売り場は縮小してしまった。

その後、地下街ができると狸小路には人通りがなくなり次第に寂れていった。狸小路に客足がもどってきたのは南1条6丁目の電車通り沿いに東急ハンズができたときだった。三越の方から東急ハンズに行き、そこから狸小路へという人の流れができたのだろう。それからインバウンドの観光客で賑わうようになり、ドラッグストアが増えた。

 

  • ピヴォ(中心街)

 冒頭のテレビ番組で初めて知ったが、2030年までにピヴォも建て替えになるようだ。現在、タワーレコードが入っているので時々立ち寄ることがある。

 もともと68年に中心街として始まり73年にダイエーになった。かつては一番上の階にオーディオコーナーがあった。地下にはラーメン店があり、おいしかったがその後どこかに移転してしまった。93年にダイエーが閉店した後、ピヴォになった。ピヴォが閉店するとなるとタワーレコードはどこにいくのだろうか。

 

  •  池内跡

 今は家具というとニトリやホームセンターなどがあるが、かつては家具というと池内という時代があった。

 また、古銭古切手の店が入っていたこともある。池内に入る前は中島公園近くの現在は中華料理店になっている場所にあった。切手ブームの頃は結構賑わっていた。古い切手は値段が上がるということから皆が買い求めていた。

 三越と丸井の間にあり、普通の百貨店とは違った品揃えが面白かった。すでに取り壊しが始まっているようだ。

 

 大通公園の北側の道路は西から東に向かう片側三車線の道路だが創成川のところで突き当たったところが北電本社である。その隣に中央バスターミナルがある。この周辺が再開発されて新しく美術館などが入る高層ビルが建つらしい。大通公園も東に延びるそうだ。

地下鉄東西線の大通駅からバスセンター駅までコンコースが延びているが、これがサッポロファクトリーまで延びるとかなり便利になると思う。

大通公園の北側道路も北電本社がなくなり、真っ直ぐ東に抜けられると便利になると思う。

 

  •  札幌駅南口、五番館跡

 札幌駅南口の駅前通りにはかつて五番館というデパートがあった。90年に西武と提携して「五番館西武」となり97年には「札幌西武」となった。2009年にその札幌西武も閉館となり今は更地になっている。跡地はヨドバシカメラが購入したらしく、周辺の地権者を含めて再開発されるらしい。

 今でこそ札幌駅周辺は賑わっているが、大丸やJRタワーができる前は札幌の賑わいの中心は大通だった。札幌駅に行くときというのは札幌から出て遠出をするときぐらいだった。五番館はそのついでに寄るという程度でしか行ったことはなかった。札幌駅周辺にも73年に東急百貨店がオープンし、78年には札幌そごうがオープンした。それでもまだ賑わいは大通が中心だった。札幌駅と大通の賑わいが逆転するのは大丸とJRタワーがオープンする2003年以降になる。

 

  • 札幌駅東側

ここが札幌の再開発の最大の目玉だろう。JRタワーとエスタの東側は1町歩ほどの駐車場になっている。線路の近くには新幹線の札幌駅が創成川を跨ぐようにできる。この駐車場とエスタ跡に255メートルの複合施設(A案)か、200メートルと150メートルの2棟の複合施設(B案)にするかということになるようだ。再開発をA案にするかB案にするかは2年後に決まるそうなので、その後はテナントの撤退が始まるだろう。

エスタの前は札幌そごうだった。78年にオープンした札幌そごうだったがオープンしたときからあまり評判がよくなかった。売り場面積が広い割には品揃えが悪いとか、店員の愛想がよくないとか、エスカレーターが複雑でフロアの移動がしづらいということがあったようだ。2000年にそごうが民事再生法の適用を受け札幌店は閉店となった。その後はビックカメラなどが入った。ゲームセンターやユニクロニトリなどもあるのでかつてのデパートの面影を残しているのはここかもしれない。

 

  •  札幌駅北口

 札幌駅北口は今でこそ公共施設やホテルなどが立ち並んでいるが、かつては「駅裏」と呼ばれ学生用のアパートとか個人住宅、個人商店が立ち並ぶだけの普通の住宅街だった。札幌駅の南側はデパートやオフィス街だが、北口に出ると普通の住宅街が広がっているという印象だった。今は、地上でも地下でも広いところを通って北口に出られるが、線路が高架になる前は地下の狭い通路を通って北口に出た。地下鉄南北線の北側の改札を出ると身障者用の1メートルぐらいのエレベーターがあるが、その横辺りに通路があったような気がする。この通路を通って北口の地上に出ると南側とは全く違う風景が広がっていた。

 北口で再開発になるのは北九条小学校の南側で、50階建てのマンションが建つらしい。

北口から創成川を渡ったところにはテイセンボウルがあった。ホールも併設されていて、ここで2回か3回オーディオショウが開催されたことがある。1年目はよかったが、2年目以降はカーオーディオばかりになってしまい間もなく開催されなくなった。テイセンボウルもなくなり今はマンションが建っている。

 

 パークホテルも建て替えられて国際展示場を併設したMICE(Meeting会議、Incentive Travel研修旅行、Convention国際会議、Exhibition/Event展示会・見本市/イベントのそれぞれの頭文字)になるらしい。

 中島公園にはパークホテルができる前までホテルが数軒あったらしい。私はパークホテルができる前の中島公園は知らないが、休憩所があちこちにあったことは覚えている。今はこぐま座の隣に一つしかなくなった。ボート乗り場の休憩所も取り壊された。

 もともとパークホテルができる前は中島中学校と札幌東高校(その前は札幌市立高等女学校)があった。

パークホテルの東側には数年前までヤマハセンターがあった。ここはもともとボーリング場だった。昭和40年代のボーリングブームの時に建設されたが、ブームが去った後、ヤマハセンターになった。ボーリングブームの頃はパークホテルの地下にもボーリング場があったし、ヤマハセンターの並びにキリンビール園があったがここも元はボーリング場だった。中島公園から行啓通りを西に行くと東光ストアがあるが、ここもかつてはボーリング場だった。

札幌コンサートホールKitaraができる前は、「子供の国」という遊園地と屋外ホールがあった。他にも中島公園には野球場、スポーツセンター、屋外プール、噴水、バラ園、ウォーターシュートなどがあった。休日は親子連れでとても賑わっていた。今も昔も変わっていないのはボート乗場、天文台、日本庭園ぐらいだろうか。児童会館も一度建て替えられている。今ある中島スポーツセンターは後に建てられたものだ。

豊平館は昭和33年(1958年)に今のカナモトホール(北1条西1丁目)の場所から中島公園の現在の場所に移築された。明治14年に完成しているので札幌では時計台の次ぐらいに古い建物である。

 

  •  パルコ

 パルコが建つ前は富貴堂という書店があった。少し大きい個人商店のような感じだった。パルコの向かいの三越の隣には丸善があった。富貴堂は一般書、丸善は専門書と洋書という感じだった。富貴堂はパルコができた時(1975年)に7階ぐらいに入っていたと思う。しかし、エイト(現在のアルシュ)の地下1階と2階に旭屋書店ができて、地下街や地上から直ぐに入れる旭屋書店とパルコの7階まで上がらなくてはならない富貴堂では集客力に差ができる。結局、富貴堂は2003年に撤退した。

 

 かつて札幌のデパートといえば「三越」と「丸井さん」だった。子供の頃はデパートに行くと、おもちゃ売場があり、大きな食堂があり、屋上には遊園地があった。エレベーターにはエレベーターガールがいて行き先を告げると行き先階のボタンを押してくれた。デパートは「おもてなし」の宝庫だったが、今となっては昔の話になった。

 中心部のデパートは、車で気軽に行ける郊外の大型ショッピングモールに次第に客足を奪われるようになった。たくさん物を買うと車で行ける方が便利だし、子供を遊ばせる場所もある。

中心部のデパートはバブル期以降、単価が高いブランド品にシフトしていき、おもちゃ、書籍、家電といった日用品を取り扱わなくなり、デパートは誰もが行くところではなく特定の人が行くところになった。

私も何か買うときには郊外の大型ショッピングセンターに行くことがよくあったが、数年前から身につける物は三越や丸井で買い物をするようにしている。それは日本製の物はデパートでしか売っていないからだ。そんなことから一時遠のいていた三越と丸井にはよく行くようになった。大丸でもいいのだけどやはり小さい頃から行っていたところに行きたいということがあるからなのかもしれない。しかし、今の若い人たち三越や丸井デパートで楽しく過ごした思い出なんてないだろうから、三越と丸井はかなり思い切った改革をしないと先はないかもしれない。

 

  • 地下街

札幌に地下街ができたのは昭和46年(1971年)で地下鉄南北線真駒内~北24条)と同時に開業した。72年の札幌冬季オリンピックの前年である。地下鉄と地下街は札幌が地方の田舎町から大都市の仲間入りをした証のようなものだった。すすきのから大通までがポールタウンで大通からテレビ塔までがオーロラタウンとなっているが、できた時からなぜテレビ塔で札幌駅ではないのかという声はその頃からあった。  平成23年(2011年)大通から札幌駅まで地下歩行空間(チカホ)ができるまで40年が経っている。

地下街の店も随分と変わった。ポールタウンには書店、レコード店おもちゃ屋、回転寿司などがあった。オーロラタウンには歩道の真ん中に水が流れていたし、オーロラプラザには滝が流れていた。テレビ塔近くのマクドナルドにはそうご電器があった。オーロラタウンと平行してコンコースがあり、北洋ビル(旧北洋銀行本店)地下にアインズ&トルペ地下街店があるが、そこにもそうご電器が入っていて奥にはオーディオコーナーがあった。そこで初めてSMEのアームの実物を目にした思い出がある。

チカホができて、4丁目の駅前通りの下をすすきのから札幌駅まで地下でつながることになったが、是非次は2丁目もすすきのから札幌駅までつなげて、回遊できるようにしてほしい。

オーロラタウンと平行しているコンコースは東西線のバスセンターまでつながっているが、これをサッポロファクトリーとつなげて、そこから新しくできる新幹線駅までつなげてほしい。

第630回札幌交響楽団定期演奏会

 令和2年(2020年)9月25日、第630回札幌交響楽団定期演奏会を聴きに行ってきた。再開後、初の定期演奏会だった。前回、聴いた定期演奏会は1月の第626回だったので3回の定期演奏会が中止になった。

 当初の指揮とプログラムは、首席指揮者マティアス・バーメルトとドイツ・レクイエムのはずがたったが、バーメルトは来日がかなわず、合唱団が練習できないため、指揮は広上淳一、ピアノ伊藤恵に変更になり、プログラムもシューベルト:ロザムンデ序曲、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第2番、ストラヴィンスキー:管楽器のための交響曲シューベルト交響曲第5番に変更になった。編成は管楽器のための交響曲を除き、12型の編成。

 

 ロザムンデ序曲は、拍子や強弱の変化が特徴的な曲だが、広上さんの指揮と札響の演奏はそれをよく引き出していて、期待を裏切らなかった。

 ピアノ協奏曲第2番は冒頭から歯切れの良い和音が響く。第1、第3楽章の快活さと叙情的な第2楽章という感じで、ピアノの澄んだ響きが印象的だった。アンコールは「エリーゼのために」。聴き慣れた曲が当たり前に聴ける喜びを再発見した。

 管楽器のための協奏曲は、通常の演奏会では聴けないような、はずれた音をところどころに入れた曲。金管楽器もミュートを駆使して忙しそうだった。

 交響曲第5番は、3年前にエリシュカ指揮で聴いている。その時の演奏はCDにもなっているので予め聴いてきた。シューベルト交響曲第5番は演奏会前半にプログラムが組まれることが多いが、今回はメインプログラムとなっている。エリシュカの演奏もよかったが、プログラムの最後に演奏された今回はより響きに厚みが出ていた。

 定期演奏会の再開について広上さんからの感謝と今後の決意が話された後、アンコールに第2楽章が演奏された。

 今回のプログラムは当初はドイツ・レクイエムという大曲だったが、比較的編成が小さいプログラムに変更されたが、大曲に劣らない中身の濃い演奏会だった。

 また、終演後に広上さんが、「Kitaraは世界で五本の指に入る音がいいホールで、札響は世界でもAクラスのオーケストラ」という趣旨の話をされていた。これは自分の耳で確かめたい。もしかしたら社交辞令でどこでもしている話かもしれないが、他のオーケストラに増して札響だけに優秀な楽団員が入団してきているとは考えにくいし、世界中にもいい音のホールはたくさんあるはずだ。ホールは世界中聴き廻るわけには行かないけどオーケストラについてはいろいろと聴ける。

札響名曲シリーズ 2020 「音のスケッチよろこびの秋」

 令和2年(2020年)9月12日、札幌コンサートホールKitaraで札幌名曲シリーズを聴いてきた。指揮は当初、ユベール・スダーンだったが、コロナ禍の中で来日できないため名フィル正指揮者の川瀬賢太郎に変更になった。

 8月1日の再開後、初の演奏会では観客の入場にかなり時間がかかったが、かなりスムーズに入場できるようになった。

 プログラムはドヴォルジャークの「謝肉祭」、レスピーギリュートのための古風な舞曲とアリア第3組曲」、後半はベルリオーズ序曲「ローマの謝肉祭」、チャイコフスキー白鳥の湖組曲より(「情景」、「ワルツ」、「4羽の小さな白鳥の踊り」、「チャルダッシュ」)、スメタナ連作交響詩「我が祖国」より「モルダウ」だった。指揮者の変更はあったがプログラムの変更はなかった。「謝肉祭」の曲が二つあるがオータムフェストが開催されていると季節感があったが今年は中止となっている。弦楽器の編成は12-10-8-6-5だった。

 1曲目のドヴォルジャークの「謝肉祭」はエリシュカ指揮フェアウェルコンサートのCDに2010年の演奏がも録されている。曲が始まった瞬間から引き込まれるような演奏だった。各セクションが活き活きとして聞こえてくる。札響はすでにこの曲を手中に収めたかのようだ。エリシュカの遺産だろう。

 2曲目のレスピーギの「リュート」は弦5部による演奏。第1ヴァイオリンからコントラバスまで各声部がよく聞き取れる。川瀬さんの指揮は、身振りは派手だがよくまとめている。

 

 休憩後の3曲目はベルリオーズの「ローマの謝肉祭」。札響の安定感が際立つ。弦も管もアンサンブルがしっかりとしていて穴がなくなった感じがする。前回から書いているが第2ヴァイオリンの充実振りが素晴らしい。

 4曲目はチャイコフスキー白鳥の湖組曲より4曲。札響の「白鳥の湖」は一昨年hitaruで新国立バレエ団との全曲演奏を聴いている。オーケストラピットの中から聞こえてくる札響の演奏もとても印象的だった。最初の「情景」からオーボエが冴え渡る。その後、ホルンが音場感を拡大させるところも期待通りだった。続く「ワルツ」でもシンフォニックな響きがコール・ド・バレエの舞台を彷彿とさせる演奏だった。ワルツの後で拍手が少しあったが、これは聴衆が間違えたというより、演奏が素晴らしかったことへの拍手だったと思う。続く「4羽の白鳥」と「チャルダッシュ」でも弦と管のアンサンブルが見事。川瀬さんの指揮と札響の息がぴったりと合っているようだった。

 5曲目は「モルダウ(ヴルタヴァ)」。これもエリシュカとの「我が祖国」がCD化されているが、音があまりよくないので実演を聴いた方の印象どおりのイメージが残念ながらわかない。ここでも弦と管のアンサンブルがしっかりとしていて、それがこの曲の中の場面ごとにビシビシと決まる感じだった。欲を言えば最後の場面はもう少し空間の広がりがあるとよかったかなと思う。

 アンコールはベートーヴェン交響曲第3番「英雄」の第3楽章。速いスケルツォでも、もたつくこともなく、一つ一つの音をしっかりと聴かせる演奏だった。

 8月のhitaru定期の前に事務局長の方が挨拶に出てきて、「札響の音は変わりました」と話していた。その時は10-8-6-5-4という小さい編成だったので変わったかどうかよく判らなかったが、12型の演奏で聴くと確かに変化しているようだ。

 

 9月19日からは満席でのコンサートができるようになるらしいが、25日の定期とか30日の名曲シリーズは追加でチケットが販売されるのだろうか。