第617回札幌交響楽団定期演奏会

2019年3月15日、第617回札幌交響楽団定期演奏会を聴いてきた。曲目はペンデレツキ「広島の犠牲に寄せる哀歌」、ショスタコーヴィチ「ヴァイオリン協奏曲第1番」、ストランヴィンスキー バレエ音楽春の祭典」だった。指揮はポーランド出身のクシシュトフ・ウルバンスキ、ヴァイオリン独奏はフランスのアレクサンドラ・スムだった。

 プログラムによると、哀歌は「52の弦楽器のために弦楽器の表現の可能性を様々な角度から追及し、各種の特殊奏法、騒音的効果、微分音の集積によるトーンクラスタ(音群)手法などを表現力豊かに駆使」とある。一般的な「曲」というよりは弦楽器で出せる様々な「音」の集積と言ったほうがわかりやすいかもしれない。

 Vn協奏曲は4楽章からなり緩-急―緩-急という楽章の並びになっている。あまり聴きなじみがなく、ゆっくりと始まるので寝ている聴衆の方も結構いた。私も実演で一度聴いたことがある。かなり前にウィーンムジークフェラインザールでルクセンブルク管弦楽団の演奏でソリストが女性だったことぐらいしか記憶になく、どんな曲だったかどんな演奏だったかも覚えていない。それでも今日聴いた演奏はとても聴き応えがありよかった。テクニックも素晴らしい。

 春の祭典は一番楽しみにしていた曲目だ。kitaraでは2013年2月4日にエサ=ペッカ・サロネン指揮、フィル・ハーモニア管弦楽団の演奏で聴いている。その頃に書いた友人あてのメールを読むと「ピアニッシモは遠くへ消え入るように繊細、フォルテッシモでは音が割れんばかりの豪快さでした。リズムも的確で音の厚みもありました」と書いている。確かにいい演奏だった印象は残っているが細かいところまでは流石に記憶はないが、果たして札響はどんな演奏になるのか楽しみだった。

 冒頭のファゴットの音からやられたという感じになった。もっと静かに始まるものと予想していたのが、いきなり大きめの音で始まったからだ。これですっかり音楽の中に引き込まれた。静かな箇所では息を殺して次になにか起こるのかと固唾を飲んでいなくてはならず、そこに突然パーカッションが叩きつけるように響き、金管が咆哮する。忘れかけていた記憶をたどるとフィル・ハーモニアのハルサイはそれなりにうまくコントロールされた上手さがあった。それと比べると今回のウルバンスキと札響の演奏は野性味あふれた原始のリズムと響きを再現させた演奏と言える。春の祭典にはわざと演奏者がそれぞれの楽器で出しづらい音程の旋律があると聞いたことがある。しかし、現代のオーケストラ奏者は高度なテクニックを身に着け、作曲者が当初予想した弾きづらさによって出てくる響きを難なく弾きこなすようになった。これは録音を聴くとよくわかる。

 春の祭典はやはり「原初のリズムと響き」だと思う。今回の定期はその意味でもとてもよかった。