ライナー・キュッヒル インタビュー記事

「音楽について話そう」

ウィーン・フィルコンサートマスター ライナー・キュッヒル

 

1950年 オーストリア生まれ。11歳よりヴァイオリンを始め、14歳でウィーン国立音楽アカデミーに入学。1971年史上最年少の若さでウィーン国立歌劇場管弦楽団ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団コンサートマスターに就任。2016年8月、ウィーン・フィルの顔として45年間務めたコンサートマスターを退任。新たな道を歩み出したキュッヒルが音楽について熱く語る貴重映像だ。

 

◯長年の役目から解放されました。今では他の人がその役を務めています。でも私の内面は何も変わりません。過去に演奏した音楽は私の中で共鳴し続けますし、これからもウィーン・フィルを聴きに行きますよ。私が夜も家にいるので妻には大問題です。夜は静かに過ごせていたはずですが、今では一日中一緒ですからね。

 

  • ヴァイオリンを習い始めるきっかけは?

◯きっかけは学校行事で訪れたオーケストラの演奏会です。それまで私はクラシック音楽と全く関わりがありませんでした。1950年代当時、家にラジオがありました。古ぼけたラジオです。そのラジオでもクラシックは聴きませんでした。聴いていたのは流行の音楽ばかり。それがあの演奏会で一変しました。私の生まれ育ったニーダーエスライヒ州では、トーンキュンストラー管弦楽団の巡回公演が行われていたんです。ある日授業の一環で演奏会に行きました。私が座っていたのはかなり前の方で第1ヴァイオリンの目の前でした。その日帰宅して突然親に言ったのを覚えています。“僕もヴァイオリンを弾きたい”。魅了されたんですね。それで父が買ってくれた安物の楽器で習い始めました。14歳になるかならないかでオーケストラと初共演。初めての演奏会は13歳でピアノとのデュオです。そして14歳でウィーン国立音楽アカデミーに入学しました。でもオペラを初めて聴いたのは17~18歳の頃、ウィーン・フィル入団前にオペラは3回しか観ていません。しかも立ち見でした。「セヴィリアの理髪師」「フィデリオ」「パルジファル」。「パルジファル」は5時間も立ちっぱなしで退屈でしたね。

 

◯全くの幸運でした。まず1つ目の幸運は、いくつか重なったんですよ、1つ目は前任のボスコフスキーが60歳で辞めたこと。5年も早く辞めたんです。65歳まで続けていたら席は空かなかった。それが1つ目の幸運。そして2つ目は私の先生が勧めてくださったことです。学生時代の私はトップで弾くのが好きでした。トップでリードするのが好きで先生はそれを見抜いていたんですね。コンサートマスターを選ぶオーディションでは私はポストのために演奏しようとは思っていませんでした。とにかく試験会場に行って演奏を終えたら帰ってくる。ただ、それだけのつもりでした。出番を待つ間他の人の演奏を聞いて思いました。“みんな自分より上手だけれど気にせず弾こう”。私はリラックスしてシベリウスの協奏曲を弾きました。ホルスト・シュタインの指揮でした。最終的に自分が選ばれたと知った時は驚きましたよ。“一体どうなってるんだ?”

 

ウィーン・フィルは遠い存在でした。そんなオーケストラに最年少で入団してそれから3年間私が最年少でした。周りはベテランばかりで定年間近の人もいました。ウィーン・フィルの歴史についていろいろな話を聞き刺激に満ちた日々でした。オペラのリハーサルでは“カルテット練習”もしました。弦は1プルトずつ弾くのです。コンサートマスターやソロチェリストといったベテランに若手や新入りの団員を組み合わせるのです。こうしてレパートリーを勉強させたんですね。今と違って、昔は3ヶ月毎晩同じレパートリーを演奏することもあったそうです。昔の団員は演奏する喜びを感じていました。私自身の経験ではありませんが、戦時中は団員たちにとって演奏できることが神の恵みのようなものでした。当然ありがたみを感じていましたね。毎日、日替わりでオペラを演奏しました。私にとって全てが初めて弾く曲でかなり難しいオペラもあり、もちろん大変でした。過去に上演した演目だとリハーサル抜きで本番ということも。自分にとって初めての曲をコンサートマスターとしてリードするのは大変でした。でも先輩たちはとても親切でしたね。“この曲はこう弾く決まりだ”と押し付けませんでした。私に任せてくれましたが、迷っていれば“こうした方が良い”と指摘してくれました。常に正しい方へ導いてくれたんです。私が初めての曲を弾く時には“みんながついているから大丈夫”。私が知っている曲なら“僕たちは寝ていても平気だね”。こんなやり取りを交わしていた良い時代でした。年長者は若手を見下すとよく言いますよね。でも彼らは私に対して親切で思慮深く、私の度重なる大失敗にも辛抱してくれました。初めての曲でソロを弾く時など、私は全体における自分の役割を理解していなかった。それでも彼らはコンサートマスターの交代を要求したりせずに我慢してくれました。

 

◯今から遡って50年ほど前のことです。“こう演奏するべきだ”と言葉で説明する必要はありませんでした。特にシュトラウスのワルツ音楽はウィーン・フィルに根を下ろしています。その音楽を共有すればいいのです。私たちが呼んでいるシュトラウスの音楽とはシュトラウス一家とランナーなどの楽曲を含みます。彼らの音楽は唯一作曲家の生きた時代から今日まで伝統が受け継がれています。ヨハン・シュトラウスは自身が指揮者でもありました。次の世代の指揮者たちは彼らの音楽を引き継いでいきました。クレメンス・クラウスからボスコフスキーへ、こうして連綿と続き真の伝統が守られてきたのです。

 モーツァルトハイドンの音楽は19世紀に一度伝統が途切れました。そして時代と共に様式が変容してきました。ひたすら柔らかく演奏した時代、響きの美しさだけ求めた時代、ドラマティックな演奏を追求した時代もありました。リヒャルト・シュトラウスも伝統が継承されています。パート譜に本人の書き込みが残っていて彼が指揮した当時の演奏スタイルがわかります。ただ若い団員は残念ながらもはや伝統を共有できません。シュトラウスの系譜に連なる指揮者から様々な教えを受け継いでいないのです。身をもって経験しないと伝統を理解するのは難しいでしょう。

 

  • オーケストラについて

◯オーケストラは世代交代するものです。古い世代から新しい世代に変われば当然何か変化が起こります。楽器の響きは人間から発せられるからです。今は団員の出身地や育った環境も様々で文化的背景も異なります。もちろんウィーン・フィルも多くの団員がオーストリア以外の国から来ています。オーストリアで勉強したんでしょう。でも彼らは根本的に聴き方や思考方法が私たちと違います。変わらないはずがない。伝統を受け継ぐとか言われますが、できるはずないです。継承しようとしても無理です。新しい世代に古い世代と全く同じ演奏を要求する、そんなことはできっこありません。

 

  • レパートリー制の弊害

◯ウィーンはレパートリー制で指揮者が入れ替わるため同じオペラでも人によって指揮のやり方が違います。それに対しオーケストラは演奏しやすい慣れたやり方で演奏するだけ。伝統様式を継承する余地はありません。作曲家自身が意図していた演奏に立ち返ることなど到底無理です。特にモーツァルトは非常に難しいです。研究者や専門家は自分たちのやり方が正しいと主張します。でも実際に正しいのか証明できない。作曲当時の演奏やモーツァルト自身が意図していた表現は誰も知らない、全てが憶測です。オペラハウスごとのレパートリーも何人もの指揮者が同じ作品を指揮します。リハーサルなしで本番ということさえある。断片的には素晴らしい演奏が聴けるかもしれませんが、全体として驚くほどの高水準は望めません。それに良い演奏をするためにはリハーサルに時間をかけるべきです。毎晩、日替わりで作品を演奏することなどできない。もちろん実際には毎日違う作品ではなく同じ作品を何日か続けて上演していますが、それにしても作品数は年間50にものぼるんですよ。

 2つの状況を比べて考えてください。1つ目は今の時代という状況です。人々は音楽の演奏に“完璧さ”を求めています。この“完璧さ”とは何でしょう?様々な意味を含む言葉です。とにかく皆が望むのは全ての音符を正しく歌い、正しく演奏すること。では正しい音とは何か?高低強弱あるいは響きが美しいかどうか。これは説明しづらい問題ですね。考えると深みにはまります。“間違った音は許されない。観客が聴き慣れているのは、何万回も編集し完璧に仕上げた音。だから実演にも同等の音を要求する”と考えがちです。この思い込みは問題です。

 2つ目は歌唱技術や演奏技術が今ほど高くなかった昔の状況です。演奏の表現は今より豊かで聴く側もより深く感じ取れました。誰も“完璧さ”については考えませんでした。

 以上2つの状況のうちどちらが望ましいかは人それぞれです。ただ、作曲家は機械が作った響きではなく人間が作った響きを望むでしょう。これは確かです。

 

  • 演出家について

◯今は多くの演出家が自己主張だけしたがります。芸術監督がそれを許しています。指揮者もそれを認めています。“こんな演出は認めない”と指揮者が言ったとしても、別の指揮者に交代させられるだけです。これも深刻な問題です。オーケストラがいくら柔軟でも役に立ちません。歌手にとって歌いづらい演出も多いのですが、それでも抗議しません。“何とか歌います”と対応してしまいます。昔の歌手はもっと演出や表現において自分の持ち味を主張しました。演出家も歌手自身の個性をよく観察しました。自分のアイデアだけ主張したり強制したりしませんでした。今の時代は違います。歌手をよく観察する演出家がいません。自分の演出の初演に登場する歌手がもたらしてくれるものを見極めない、おかしいですよ。

 

  • 指揮者について

◯今の世の中には自己中心主義があふれています。音楽会も同じです。指揮者は作品を自分の創造物のように扱います。大間違いです。指揮者の役割はオーケストラや歌手や合唱がまとまるように気を配ることです。全体が調和し乱れないように気をつけることです。指揮者自身の思いを加えてもよいが、強制すべきではありません。ところが最近の若い団員は愚かなことに指揮者の言いなりです。昔は先輩の団員にこういう人がいました。指揮者がオケにそぐわない指示を出したと気づいたら、“従えない”と言いに行きました。今はそこまで勇気ある人がいません。

 

  • 音楽の捉え方について

◯私は子供の頃、幸運にも森のそばに住んでいました。家から200メートルの森で素晴らしい体験をしました。最新のオモチャにも代えられません。コンピューターからは私が鳥や森から受けたような幸福感は得られません。針葉樹、落葉樹あらゆる植物、全てが驚きに満ちていました。しかし現代人はこの驚きを忘れています。忘れていない人もいるでしょうが、私たちは自然の一部であり、だからこそ幸福なのです。自然を征服し支配したいと考えて月や火星へ飛ぶ、何を目指すのでしょうか?若者の多くがコンクリートジャングルで育ち、自然を知りません。しかし、音楽と自然は切り離せない。モーツァルトシューベルトなど多くの作曲家が自然に囲まれた中で作曲しました。作曲に関する豊かなアイデアを与えられました。様式に対する感覚は自然から得られるのです。若者は楽器をただ機械的に弾きます。日本で若い演奏家ブラームスソナタを聴いた時、全ての音符を完璧に弾いていました。でも伝わるものが何もありません。私は何を教えればいい?楽譜の上では正しい演奏ですが、どうしたら“この曲が作られた背景は?”ブラームスはケルンテンの自然から着想を得ました。でも自然に触れた体験がないと理解できず、音符の表面だけを追うのです。

 

  • キュッヒルは今後どのような音楽を届けてくれるのだろうか?彼の視線は何を見つめているのだろうか?

◯そもそも音楽とは、届けることができるものなのでしょうか。言い換えると、どんな要素なら届くのでしょうか。ムーティが最近のインタビューで言っていました。“聴衆はコンサートで何を受容しているのだろう。今の時代においては8割か9割、ほとんどの聴衆が視覚的な要素しか受け取っていない。聞こえるものより見えるものを大事にするんだ。”私も同じ意見です。聴衆が気にしているのは舞台上に見える演奏家だけです。楽曲そのものを理解する力がない。誰がどんなふうに弾いたとか比較ばかりなんです。作品そのものに向き合わない。批評も同様で出演者の紹介ばかりです。見た目だけで判断して、弓を高く上げるとかっこいい、普通に弾くとつまらないと考える聴衆に何を伝えればいい?

 モーツァルトハイドンシューベルトブラームスなどの作品は数え切れないほど繰り返し演奏されています。ベートーヴェンの「運命」を新鮮な気持ちで聞こうとしても無理な話でしょう。“誰が弾くのだろう?”“指揮者は?”“ピリオド楽器か?”“楽譜の版が古い”などと考えるわけです。あれこれ思い巡らせて聞いてしまいます。ベートーヴェン交響曲を初演したときの聴衆の反応は誰にも分かりません。当時はまだ新鮮に受け止められたのは確かでしょう。そう考えると世界初演の曲が良いかもしれません。それなら新鮮でしょう。しかし、ある曲を世界初演してもその後で5回も演奏されれば良いほうです。大抵は1度きりです。財政的に後ろ盾があったとしても3回か4回です。本当に難しいですね。年末のランキングもそう。演奏会、指揮者、ソリスト、オーケストラ、順位を付けたがる。音楽とは無関係です。第一、誰が決めるのですか?ベストのオーケストラとか指揮者とか。点数を付ける競技なら可能でしょう。でも距離や速度で比較できないのに順位なんて。ランキングしか頭にない聴衆にどうやって音楽そのものに関心を持たせるのか、“1位の演奏だ”“彼らなら最高の演奏だろう”どうして分かるんですか。こうした風潮はメディアの責任でもあります。無意味なランク付けなど止めて作品の中身を具体的に伝えてほしい。魅力はここと、ここと、ここだと。

 

 以上がインタビューを文字起こしした全文です。最後に述べている「比較ばかりで作品そのものに向き合わない」というのは、生演奏よりもむしろ録音されたレコードやCDばかり聴いて、オーディオにもうるさい人たちにはよくいます。オーディオ店やレコード店などに行くとこのような人たちがよく屯(たむろ)しています。こういう人たちには目を覚ましてほしいインタビュー記事と思い全文を掲載することにしました。