札幌中心部の移り変わり

 北海道の報道番組で札幌市中心部のこれからの再開発について特集していた。すすきのから札幌駅周辺まで再開発や建替の計画の紹介だった。これだけ札幌の中心部が変わるのは72年の札幌オリンピック以来となるが、今の再開発は規模からしてその頃をはるかに上回っている。物心ついたときから札幌に住んでいるので記憶を辿りながら街の移り変わりを記しておきたい。もしかしたら記憶違いもあるかもしれないが一応記憶しているとおりに書いていくことにする。

  • すすきのラフィラ跡

ここは札幌オリンピックの直後に松坂屋として始まった。この頃、札幌でデパートというと大通の三越丸井今井、札幌駅前の五番館(現在は解体)だった。松坂屋ができたときは三越や丸井(当時は南1条館だけ)よりもフロア面積が広く、1フロアにエスカレーターが2基あったり、外の景色が見える展望用エレベーターがあったりして新鮮だった。しかし、その後、三越前にパルコができ、丸井も大通館をオープンさせるなどして大通にまた人がもどっていった。松坂屋イトーヨーカドーと提携してヨークマツザカヤになり、その後、ロビンソンになってラフィラになった。

札幌オリンピックの頃、松坂屋の西側(今は東急レイホテル)にスケート場があった。このスケート場に札幌オリンピックまであと何日という表示板があった。電車に乗る度に数字がすこしずつ減っていくのを見ていた。スケート場の前は西本願寺幌別院があり、昭和37年に現在の北3条西19丁目に移転した。

すすきのには映画館もあった。今、ラウンド1になっているところには東宝公楽があってゴジラの映画を上映していた。メルキュールホテルの前はアオキボウルとエンペラーがあったが、その前は大映の映画館でガメラの映画を上映していた。その向かいのホテル東横インには日活の映画館があった。その頃は大きな看板がかかっていても良かった時代だった。

新しくなる建物にはTOHOシネマズと東急ホテルイトーヨーカドーが入るらしい。またすすきのに映画館が戻ってくる。

 

 

  • 千秋庵跡とサンデパート跡と狸小路周辺

 千秋庵跡はコロナ禍の中、4月に新しくオープンした。正月に和菓子などを買いによく行った。ここのソフトクリームは独特でとてもおいしかったのだが、大通公園の北側に大通ビッセや北菓桜などができて客足が遠のいた感じがある。オープンした後、一度ソフトクリームを食べたいと思って立ち寄ったがすでに先客があり、密になりそうなので止めた。あの頃の味は戻っているのだろうか。

 今、再開発されているサンデパート跡(ドンキホーテ跡またはそうご電気YES跡)がある。サンデパートの頃を覚えている。札幌の中心部の賑わいは大通だった。休日となると三越も丸井も食堂(今はファミリーレストランというらしい)は混んでいて、いつ食べられるか判らない状態だった。そこから逃げるように南に行くとサンデパートがあり、ここの食堂を時々利用していた。サンデパートは松坂屋やパルコがオープンすると次第に客足も遠のき、84年にそうご電器YES店が入る。札幌では一番大きな家電販売店だった。しかし、90年代中頃に札幌駅ガード下(現在はツタヤ)にヨドバシカメラが進出してきた頃から客足が遠のき、97年に北海道拓殖銀行破綻でそうご電器も倒産した。その後どうなるかと思っていたらドンキホーテが入った。ドンキホーテも現在はアルシュに移転して営業している。

 サンデパートの隣には松竹映画館があった。寅さんやドリフターズの映画を上映していた。この松竹映画館とすすきのの東宝公楽と南2条西5丁目の東映は、札幌シネマコンプレックスの開業に伴い閉館した。丸井今井の東側に東宝日劇という主に洋画を上映していた映画館もまもなく閉館になった。

 

狸小路はアーケードがある商店街でサンデパートがあった頃はそれなりに賑わいもあった。中川ライター店(4丁目)ではプラモデルが売っていたし、茶屋碁盤店(3丁目)ではボードゲームなどが売っていた。両店ともデパートより品揃えがよかった。茶屋碁盤店は火災(何年前かははっきりとは覚えていない。30年ぐらい前か?)で焼失した。中川ライター店はコスモ(現在のナナイロ)内にも店舗があった。ここにはよくプラモデルを買いに行った。

その他狸小路2丁目には金市館があった。ここは後にラルズとなったが、今はパチンコ店になっている。

4丁目のエイト(現在のアルシュ)の1階にはヤマハが入っていてレコード売場があった。昭和52年(77年)には地下2階と1階には旭屋書店が入った。エイトのレコード売り場はCDが普及する頃になくなったような気がする。旭屋書店は当時、札幌で一番大きい書店だった。地下1階には文房具店もあって舶来の万年筆も売っていた。閉店するときモンブランの万年筆をバーゲン価格で買ったことがある。旭屋書店はJRタワーができた時に移転したが、結局、撤退し今は三省堂書店になっている。旭屋書店跡はパチンコ店になり、今はドンキホーテが入っている。

狸小路3丁目にはキクヤというレコード店もあった。クラシックのレコードはここと玉光堂すすきの店の品揃えがよかった。すすきの店は2階ワンフロアがクラシックだったが、CDの普及とともにクラシック売り場は縮小してしまった。

その後、地下街ができると狸小路には人通りがなくなり次第に寂れていった。狸小路に客足がもどってきたのは南1条6丁目の電車通り沿いに東急ハンズができたときだった。三越の方から東急ハンズに行き、そこから狸小路へという人の流れができたのだろう。それからインバウンドの観光客で賑わうようになり、ドラッグストアが増えた。

 

  • ピヴォ(中心街)

 冒頭のテレビ番組で初めて知ったが、2030年までにピヴォも建て替えになるようだ。現在、タワーレコードが入っているので時々立ち寄ることがある。

 もともと68年に中心街として始まり73年にダイエーになった。かつては一番上の階にオーディオコーナーがあった。地下にはラーメン店があり、おいしかったがその後どこかに移転してしまった。93年にダイエーが閉店した後、ピヴォになった。ピヴォが閉店するとなるとタワーレコードはどこにいくのだろうか。

 

  •  池内跡

 今は家具というとニトリやホームセンターなどがあるが、かつては家具というと池内という時代があった。

 また、古銭古切手の店が入っていたこともある。池内に入る前は中島公園近くの現在は中華料理店になっている場所にあった。切手ブームの頃は結構賑わっていた。古い切手は値段が上がるということから皆が買い求めていた。

 三越と丸井の間にあり、普通の百貨店とは違った品揃えが面白かった。すでに取り壊しが始まっているようだ。

 

 大通公園の北側の道路は西から東に向かう片側三車線の道路だが創成川のところで突き当たったところが北電本社である。その隣に中央バスターミナルがある。この周辺が再開発されて新しく美術館などが入る高層ビルが建つらしい。大通公園も東に延びるそうだ。

地下鉄東西線の大通駅からバスセンター駅までコンコースが延びているが、これがサッポロファクトリーまで延びるとかなり便利になると思う。

大通公園の北側道路も北電本社がなくなり、真っ直ぐ東に抜けられると便利になると思う。

 

  •  札幌駅南口、五番館跡

 札幌駅南口の駅前通りにはかつて五番館というデパートがあった。90年に西武と提携して「五番館西武」となり97年には「札幌西武」となった。2009年にその札幌西武も閉館となり今は更地になっている。跡地はヨドバシカメラが購入したらしく、周辺の地権者を含めて再開発されるらしい。

 今でこそ札幌駅周辺は賑わっているが、大丸やJRタワーができる前は札幌の賑わいの中心は大通だった。札幌駅に行くときというのは札幌から出て遠出をするときぐらいだった。五番館はそのついでに寄るという程度でしか行ったことはなかった。札幌駅周辺にも73年に東急百貨店がオープンし、78年には札幌そごうがオープンした。それでもまだ賑わいは大通が中心だった。札幌駅と大通の賑わいが逆転するのは大丸とJRタワーがオープンする2003年以降になる。

 

  • 札幌駅東側

ここが札幌の再開発の最大の目玉だろう。JRタワーとエスタの東側は1町歩ほどの駐車場になっている。線路の近くには新幹線の札幌駅が創成川を跨ぐようにできる。この駐車場とエスタ跡に255メートルの複合施設(A案)か、200メートルと150メートルの2棟の複合施設(B案)にするかということになるようだ。再開発をA案にするかB案にするかは2年後に決まるそうなので、その後はテナントの撤退が始まるだろう。

エスタの前は札幌そごうだった。78年にオープンした札幌そごうだったがオープンしたときからあまり評判がよくなかった。売り場面積が広い割には品揃えが悪いとか、店員の愛想がよくないとか、エスカレーターが複雑でフロアの移動がしづらいということがあったようだ。2000年にそごうが民事再生法の適用を受け札幌店は閉店となった。その後はビックカメラなどが入った。ゲームセンターやユニクロニトリなどもあるのでかつてのデパートの面影を残しているのはここかもしれない。

 

  •  札幌駅北口

 札幌駅北口は今でこそ公共施設やホテルなどが立ち並んでいるが、かつては「駅裏」と呼ばれ学生用のアパートとか個人住宅、個人商店が立ち並ぶだけの普通の住宅街だった。札幌駅の南側はデパートやオフィス街だが、北口に出ると普通の住宅街が広がっているという印象だった。今は、地上でも地下でも広いところを通って北口に出られるが、線路が高架になる前は地下の狭い通路を通って北口に出た。地下鉄南北線の北側の改札を出ると身障者用の1メートルぐらいのエレベーターがあるが、その横辺りに通路があったような気がする。この通路を通って北口の地上に出ると南側とは全く違う風景が広がっていた。

 北口で再開発になるのは北九条小学校の南側で、50階建てのマンションが建つらしい。

北口から創成川を渡ったところにはテイセンボウルがあった。ホールも併設されていて、ここで2回か3回オーディオショウが開催されたことがある。1年目はよかったが、2年目以降はカーオーディオばかりになってしまい間もなく開催されなくなった。テイセンボウルもなくなり今はマンションが建っている。

 

 パークホテルも建て替えられて国際展示場を併設したMICE(Meeting会議、Incentive Travel研修旅行、Convention国際会議、Exhibition/Event展示会・見本市/イベントのそれぞれの頭文字)になるらしい。

 中島公園にはパークホテルができる前までホテルが数軒あったらしい。私はパークホテルができる前の中島公園は知らないが、休憩所があちこちにあったことは覚えている。今はこぐま座の隣に一つしかなくなった。ボート乗り場の休憩所も取り壊された。

 もともとパークホテルができる前は中島中学校と札幌東高校(その前は札幌市立高等女学校)があった。

パークホテルの東側には数年前までヤマハセンターがあった。ここはもともとボーリング場だった。昭和40年代のボーリングブームの時に建設されたが、ブームが去った後、ヤマハセンターになった。ボーリングブームの頃はパークホテルの地下にもボーリング場があったし、ヤマハセンターの並びにキリンビール園があったがここも元はボーリング場だった。中島公園から行啓通りを西に行くと東光ストアがあるが、ここもかつてはボーリング場だった。

札幌コンサートホールKitaraができる前は、「子供の国」という遊園地と屋外ホールがあった。他にも中島公園には野球場、スポーツセンター、屋外プール、噴水、バラ園、ウォーターシュートなどがあった。休日は親子連れでとても賑わっていた。今も昔も変わっていないのはボート乗場、天文台、日本庭園ぐらいだろうか。児童会館も一度建て替えられている。今ある中島スポーツセンターは後に建てられたものだ。

豊平館は昭和33年(1958年)に今のカナモトホール(北1条西1丁目)の場所から中島公園の現在の場所に移築された。明治14年に完成しているので札幌では時計台の次ぐらいに古い建物である。

 

  •  パルコ

 パルコが建つ前は富貴堂という書店があった。少し大きい個人商店のような感じだった。パルコの向かいの三越の隣には丸善があった。富貴堂は一般書、丸善は専門書と洋書という感じだった。富貴堂はパルコができた時(1975年)に7階ぐらいに入っていたと思う。しかし、エイト(現在のアルシュ)の地下1階と2階に旭屋書店ができて、地下街や地上から直ぐに入れる旭屋書店とパルコの7階まで上がらなくてはならない富貴堂では集客力に差ができる。結局、富貴堂は2003年に撤退した。

 

 かつて札幌のデパートといえば「三越」と「丸井さん」だった。子供の頃はデパートに行くと、おもちゃ売場があり、大きな食堂があり、屋上には遊園地があった。エレベーターにはエレベーターガールがいて行き先を告げると行き先階のボタンを押してくれた。デパートは「おもてなし」の宝庫だったが、今となっては昔の話になった。

 中心部のデパートは、車で気軽に行ける郊外の大型ショッピングモールに次第に客足を奪われるようになった。たくさん物を買うと車で行ける方が便利だし、子供を遊ばせる場所もある。

中心部のデパートはバブル期以降、単価が高いブランド品にシフトしていき、おもちゃ、書籍、家電といった日用品を取り扱わなくなり、デパートは誰もが行くところではなく特定の人が行くところになった。

私も何か買うときには郊外の大型ショッピングセンターに行くことがよくあったが、数年前から身につける物は三越や丸井で買い物をするようにしている。それは日本製の物はデパートでしか売っていないからだ。そんなことから一時遠のいていた三越と丸井にはよく行くようになった。大丸でもいいのだけどやはり小さい頃から行っていたところに行きたいということがあるからなのかもしれない。しかし、今の若い人たち三越や丸井デパートで楽しく過ごした思い出なんてないだろうから、三越と丸井はかなり思い切った改革をしないと先はないかもしれない。

 

  • 地下街

札幌に地下街ができたのは昭和46年(1971年)で地下鉄南北線真駒内~北24条)と同時に開業した。72年の札幌冬季オリンピックの前年である。地下鉄と地下街は札幌が地方の田舎町から大都市の仲間入りをした証のようなものだった。すすきのから大通までがポールタウンで大通からテレビ塔までがオーロラタウンとなっているが、できた時からなぜテレビ塔で札幌駅ではないのかという声はその頃からあった。  平成23年(2011年)大通から札幌駅まで地下歩行空間(チカホ)ができるまで40年が経っている。

地下街の店も随分と変わった。ポールタウンには書店、レコード店おもちゃ屋、回転寿司などがあった。オーロラタウンには歩道の真ん中に水が流れていたし、オーロラプラザには滝が流れていた。テレビ塔近くのマクドナルドにはそうご電器があった。オーロラタウンと平行してコンコースがあり、北洋ビル(旧北洋銀行本店)地下にアインズ&トルペ地下街店があるが、そこにもそうご電器が入っていて奥にはオーディオコーナーがあった。そこで初めてSMEのアームの実物を目にした思い出がある。

チカホができて、4丁目の駅前通りの下をすすきのから札幌駅まで地下でつながることになったが、是非次は2丁目もすすきのから札幌駅までつなげて、回遊できるようにしてほしい。

オーロラタウンと平行しているコンコースは東西線のバスセンターまでつながっているが、これをサッポロファクトリーとつなげて、そこから新しくできる新幹線駅までつなげてほしい。