オーディオのこと 34(ライブ配信の音質について)

 2020年春頃から世界的にコンサートの中止が相次いだが、その代わりにネットによるライブ配信が無料で見られるようになった。オーケストラのコンサートとオペラを中心に、何度か観たことがある。パソコンからUSBケーブルでCDプレーヤーのDACに接続して聴いたが、レコードやCDと比較するとあまり音はよくなかった。

 ただ、これだけでライブ配信はダメだと決めつけてしまうわけにはいかない。それ以前に録音の違いという問題がある。普段聴くレコードやCDとライブ配信では音楽ソースの録音方法がそれぞれ異なる。

普段レコードやCDで聴くのはスタジオ録音とかセッション録音という録音専用に使われたスタジオやホールで録音された演奏が多い。録音場所として有名なところではデッカのウィーンのゾフィエンザール、EMIのロンドンのキングスウェイホール、アビーロードスタジオ、ドイツ・グラモフォンのベルリン・イエスキリスト教会、RCAのシカゴオーケストラホールなどがある。ウィーン・フィルベルリン・フィルも普段ライブコンサートで演奏しているホールとは違うところで録音をしていた。

 

 それはおおよそ50年代後半から70年代ぐらいまで続いた。それ以降、名エンジニアが相次いで引退し、録音専用ホールが様々な事情から使えなくなるなど録音の環境は大きく変化した。それからしばらくしてCDが出てきて再生環境も大きく変化した。この頃、レコードかCDかとか、アナログかデジタルかという議論が盛んに行われたが、録音環境が大きく変わったという話はなかったように思う。

 

 クラシックで名盤名演とされるのはこのアナログ全盛期の頃がほとんどといっていい。エソテリックで定期的にリリースしているSACDはこの頃の録音ばかりだし、最近、再生機器が増えてきたハイレゾ音源が聴けるMQA-CDも同様だ。

 

 名門オーケストラの常任指揮者が毎月のように新譜を出していた時代はすでに90年代に終焉した。アシュケナージ、ドホナーニ、ムーティ、プレヴィン、マリナー、コリン・ディヴィス、ハイティンクシノーポリガーディナーレヴァイン、小澤などのアーティストたちがメジャーレーベルとの契約を打ち切られるか更新されなくなった。市場ではすでに新しい演奏は売れなくなり新録音が極端に減った。

 

 ベルリン・フィルは2014年に自主レーベルを起ち上げCDやレコードのリリースを始めた。その中で話題になったレコードに2016年に発売されたラトル指揮ブラームス交響曲全集がある。場所はベルリン・フィルハーモニーホール。通常のオーケストラ録音では40本ぐらいのマイクで収録するが、このレコードは指揮者の1メートル後方、高さ4.5メートルの位置に1組(2本)のステレオマイクを設置し、レコーダーを通さずにラッカー盤をカッティングするという「ダイレクトカッティングレコード」だった。珍しくオーディオ誌でも取り上げられ評論家の方は、弦楽器が前に広がり管楽器、打楽器が奥の方に聞こえ、コンサートホール中央の最前列で聴いているようだ」と評していた。しかし、その一方で「レコード再生はコンサートの代替ではなく独自の魅力をもった音楽の世界である」とも書いている。

 60年代にベルリン・イエス・キリスト教会で録音されたカラヤンベルリン・フィルや60・70年代にウィーンのゾフィエンザールでスタジオ録音されたケルテス、ウィーン・フィルブラームス交響曲全集では弦楽器に対して管楽器、打楽器はバランスよく聞こえるようによく調整されて聞こえてくる。

 

 オペラでオーケストラは舞台上にいる歌手や合唱団と客席の間にあるオーケストラピットの中に入って演奏する。客席からは指揮者の頭と奥(舞台側)の奏者がかろうじて見えるぐらいで多くのオーケストラ奏者は見えない。客席の上層階に行けばオーケストラピットの中が見えるようになるが音は遠くなる。オペラ上演では多くの場合、客席で聴くオーケストラの音は間接音が主になる。

 ステレオ録音時代になり録音技術と再生機器が大きく進歩したときに、オペラを歌手も合唱もオーケストラも明瞭な音で録ったら、生演奏よりもいい音が再生できるのではないか、と録音技術者たちが考えるのも当然だった。ショルティウィーン・フィルを指揮してデッカに8年がかりで録音した「ニーベルングの指環」全曲はおそらくそんな中で誕生した。

 

 メトロポリタン歌劇場は2006年から映画館での「METライブビューイング」を開始している。今では世界70カ国、2200館で上映され、10台の高精細映像カメラと5.1chサラウンドによる音響によって臨場感があるオペラを配信している、とウィキペディアには書かれている。

 METライブは毎年11月から翌年5月まで10作品を上映していて、時々観に行くことがある。音については、声はよく録音されているが、オーケストラは高域と低域がカットされているように感じたが、これは映画館の音響機器が原因だと思っていた。映画館ではセリフを聴き取りやすくするために敢えて高域と低域をカットしているということを以前聞いたことがあるからだ。コロナ禍でオペラが上演出来なくなった時、各地の歌劇場で上演されたオペラのアーカイブビデオを無料で配信するようになった。メトロポリタン歌劇場でも配信していたのでパソコンをDACに接続してオーディオシステムで聴いてみた。きっと映画館よりもいい音で再生できると思っていたが、結果は映画館と同じだった。高域と低域がカットされているように聞こえるのは映画館の音響機器が原因なのではなく、もともとの歌劇場の音響がそうだったのだ。他の歌劇場でも無料配信をしていたのでいくつか聴いてみたが同じ傾向の音だった。これが各地の歌劇場の音なのかと思った。

 もはやショルティの指環、メータのトゥーランドット、E・クライバーフィガロの結婚バーンスタインカルメンカラヤンのボエームとばらの騎士クナッパーツブッシュパルジファルの様なオペラの録音が出てくることはもうないだろう。

 

「いい音」というのは生演奏なのか、それとも録音場所も含めて録音技術を駆使して録音され優秀なオーディオ機器で再生された音なのだろうか。同じクラシック音楽を聴く人の中でも二極化が進んでいる原因もその辺りにあると思う。

 生演奏に親しんでいる人たちは、どのような録音であっても生演奏より音がいいことはなく、明瞭に聞こえすぎるのは不自然であり、オーディオ機器に多額のお金をかけることは無駄である、と考えているかのようだ。逆に優秀なオーディオ機器とかつての名盤名録音のソフトを揃える人は現代の演奏家とコンサートには冷淡である。

 

 これから出てくる録音はディスクであろうと配信であろうとライブ録音しかなく生演奏の代用物の様な物にしかならないように思える。鳴り物入りでリリースされたラトルのブラームス交響曲全集であってもそのような音にしかならなかった。オーディオ機器でかつての名演名盤をレコードやCDで聴いている人には興味深い音楽ソースにはならないと思う。

 クラシック音楽の楽しみ方は生演奏を各ホールで楽しむか、かつての名演名盤を優秀なオーディオ機器で楽しむか、というふうになっていくのだろう。

 

◎参考文献

 「クラシック名録音106究極ガイド」 嶋 護 著 ステレオサウンド

 「嶋護の一枚」 嶋 護 著 ステレオサウンド

「クラシックレコードの百年史」 ノーマン・レブレヒト著 春秋社

「だれがクラシックをだめにしたか」 ノーマン・レブレヒト著 音楽之友社