令和8年(2026年)10月18日、第680回札幌交響楽団定期演奏会を聴きに行ってきた。
指揮は、札響正指揮者の川瀬賢太郎、ピアノは小曽根真。ハモンドオルガンは壷阪健登。
開演前のロビーコンサートは
ヴァイオリン:井上澄子、熊谷勇大
イザイ/2つのヴァイオリンのためのソナタより第1楽章 だった。
プログラムは、次の通り。
・ドビュッシー/3つの交響的素描「海」
・小曽根誠/ピアノ協奏曲「もがみ」
編成は14-12-10-8-7だった。
1曲目は「さくら」。この曲は2021年、バンベルク交響楽団の委嘱によりアンコール・」ピースとして作曲され、同年初演された。「筝曲 櫻」を編曲した作品。
2曲目は「海」。ダイナミクスの広い曲で川瀬の得意とする感じがした。札響の表現もとてもよかった。
3曲目は「もがみ」。今日のソリストの小曽根が作曲した3楽章からなるピアノ協奏曲。2003年に山形県で開催された国民文化祭のため作家の井上ひさしが作曲を依頼したらしい。山形民謡、ジャズ、黒人霊歌などの要素を取り入れた曲となっている。初めて聴く曲なので演奏の良し悪しはわからないが、おそらく良かったのだと思う。
アンコールはハモンドオルガン奏者 壷阪健登との連弾による「O'berek」だった。
3曲目の「もがみ」で演奏者が楽しそうに演奏するのを見て、何となくこちらが「置き去り」にされたような「違和感」を感じたのでそのことについて書いて置きたい。
演奏もおそらく良かったし聴衆のほとんどは満足していたのだと思う。特にアンコールでは足を踏み鳴らし手拍子をするところから演奏を始めたり、奏者が入れ替わる「パフォーマンス」をしたりすることに、聴衆のほとんど―もしかしたら私以外の全員―がとても満足していたことは盛大な拍手からも想像できた。
そんな中で感じた「違和感」は、おそらく私自身がコンサートに求めてきたこととは違うものを見せられたからだと気付いた。
コンサートを聴きに行くのは、今日は「名曲」をどんなふうに演奏するのだろうという期待が一番大きいと思っていた。しかしこの日は、「パフォーマンス」というのか、別の新しい試みというのか、最近の流行のようなものを感じたことからくる「違和感」だったのかもしれない。
今日はどんな演奏が聴けるのだろうと期待してコンサートに行くのは、もう時代遅れなのかもしれない。そんなことも感じた演奏会だった。