hitaruオペラプロジェクト プレ公演「蝶々夫人」

 令和3年(2021年)2月21日(日)、札幌文化芸術劇場hitaruで歌劇「蝶々夫人」を観てきた。指揮は柴田真郁、演奏は札幌交響楽団。札幌文化芸術劇場hitaruと北海道二期会の共催となっている。

 

 主な配役は、蝶々夫人は佐々木アンリ(ソプラノ)、ピンカートンは岡崎正治テノール)、シャープレス領事は今野博之(バリトン)、スズキは荊木成子(メゾ・ソプラノ)、ゴローは西島厚(テノール)、ケイト・ピンカートンは東園己(メゾ・ソプラノ)だった。演出は岩田達宗である。

 

 蝶々夫人は映像で何度か観たことがある。最近でも2年ほど前にMETライブビューイングで観たが舞台が日本であるためか普段よりも多くの観客が見に来ていた。本公演も1席おきの座席配置だったが早々にチケットは売り切れていたようだ。

 

 パンフレットによると蝶々夫人はミラノ初演版と2回目のブレシア版、3回目のパリ版があり、パリ版が現在の決定版となった。今まで何度か映像で観た「蝶々夫人」もこのパリ版のようで、それは異国の夫に裏切られ絶望して命を絶つという設定だった。それがhitaruオリジナル版ではパリ版で削除された箇所をブレシア版に変更したりして、他者からは決して蹂躙されない日本人の魂を前面に出した演出となっている。ピンカートンと結ばれなかったら死を選ぶという女性ではなく、差別や偏見にも負けない気高い女性として描かれているのである。

 ピンカートンは日本に再び戻ってきたときには、車椅子に乗り、蝶々夫人とも会わずに去って行く。残された子供のことは本妻であるケイト・ピンカートンとのやり取りだけで解決される。

 車椅子に乗ったピンカートンを観たとき、D・H・ロレンスの「チャタレー夫人の恋人」のチャタレー卿を思い出した。ピンカートンが下半身不随となり子供ができないため積極的に子供を引き取るということにした、という設定なのかと感じた。

 プッチーニのオペラは、ヴェルディとは対照的に、様々な事柄が個人的なことに収れんしていくという解説を以前聞いたことがある。だとすると今回のhitaruオリジナル版は今までのプッチーニのオペラとは違った側面を描き出している画期的な演出と言えるかもしれない。

 

 蝶々夫人役の佐々木アンリさんは2年前の「椿姫」での素晴らしい歌唱がまだ記憶にある。今回も気高い蝶々夫人を見事に歌いこなしていたと感じた。ピンカートン、シャープレス領事、スズキも聴き劣りすることのない歌唱だった。管弦楽もとても効果的に伴奏していた。

 

 第2幕の最後の方でティンパニがかなり大きな音で何度か叩く箇所がある。1階席の右後方の座席だったが、正面からの直接音と左の壁に反射する音が聞こえてきた。hitaruも当初の印象とは違って音響効果のいいホールであることを認識し直した。ネットで有料配信されるようなので他のオペラハウスと聴き比べるといろいろと違いがわかるかもしれない。