オーディオのこと 63(立体音響あるいはハイエンド・オーディオについて)

 「ハイエンド・オーディオ」という言葉は、普通は「(買えそうもないような)高額なオーディオ機器」をイメージしがちだが、国内のSN社の2021年3月1日のフェイスブックにはこう書かれている。

 「ハイエンドと言う言葉ですが、日本では『高級な』とか『高額な』とか『高性能な』と言う意味で使われるのが普通で、『ハイエンド・オーディオ』で検索しても、『超高額なオーディオ』と言う意味しか出てきません。しかしながら、ハイエンド・オーディオと言う言葉の本来の意味は全然違うのです。

 話はレコードがステレオ化されてきた1970年代に遡ります。最初のころはステレオと言っても、左がボーカルで右が演奏とか、真ん中がドラムスで左右がピアノとベースとか、そんな感じでした。ところが、少ないマイク本数でシンプルに録音がなされたステレオレコードを優秀な装置で再生すると、『まるで演奏会場の空気感まで再現され、三次元的に広がるような定位感が生まれる』という驚くべき現象が、1970年台後半に米国の音楽評論家であるハリー・ピアソン氏らによって発見されたのです。

 彼らは、この様な再生が可能な装置や、それを使って空間再生を目指す姿勢について、『ハイエンド・オーディオ』と言う言葉を提唱し、それを世界中に広めて行ったのです。」

 また、令和5年(2023年)6月10日にSN社のオーディオ試聴会があった時、講師を担当したオーディオ評論家のW氏が次のように話していた。「『ハイエンド・オーディオ』というのは必ずしも高額な機器という意味ではなく、1970年代にハリー・ピアソン氏が提唱した『演奏会場の空気感が再現され、三次元的に広がるような定位感を再生するシステム』のこと」という話があった。

 これらの話の中で、まず「レコードがステレオ化されたのが1970年代」と言っているのは明らかに違う。レコードがステレオ化されたのは1950年代末で、それからすでに20年近くも経っているし、ステレオ録音・再生の実験はそれよりも前に始まっている。「三次元的に広がるような定位感」はすでにその頃広く知られていた。

 また、それにも関わらずオーディオに造詣が深いはずのハリー・ピアソン氏がなぜ1970年代になってわざわざこんなことを唱え始めたのかということも大きな疑問だった。

 

 その謎が解けたのが12月2日にオーディオ試聴会に参加したときにES社の担当者の話を聞いてからだった。ES社の方は次のように話していた。

アメリカのオーディオ誌でES社のプリアンプが賞をもらった。実はアメリカのオーディオ誌で日本メーカーが賞を取るのは大変なのです。それは1970年代後半、日本メーカーが中国で製造した安いラジカセに「Hi-Fi(ハイファイ)」というロゴを貼り世界中に売りまくっていた。それに抗議してハリー・ピアソンが『我々はもうHi-Fiという言葉は使わない。替わりに真面目に作られた製品を「ハイエンド・オーディオ」として紹介していく』と。そのため今でも海外のオーディオショウでは日本メーカーに対して偏見があるらしく、その中での受賞だった。」という話をされていた。

 これを聞いてようやくハリー・ピアソン氏が70年代になって突然、「ハイエンド・オーディオ」という言葉を使い始めたのかという疑問が解けた。「ハイエンド・オーディオ」という言葉は、日本メーカーが当時、安かろう悪かろうの製品を「Hi-Fi」と称して大量に売ることに対するアンチテーゼとして生まれたので日本では-ハリー・ピアソン氏が云う意味での-「ハイエンド・オーディオ」という言葉を使えなかったのだろうと想像する。そのため本来の意味での「ハイエンド・オーディオ」という言葉は最近まで聞いたことがない。

 

 ここで元々、「立体的な音響」がいつ頃から始まったかをまとめて書いておきたい。1986年(昭和61年)に「レコードの世界史」(岡俊雄著 音楽之友社刊)という本にその経緯が書かれているのでそれを要約してみた。「立体的な音響」がどのように発見されたかについて次のように書かれている。

 「人間の視覚がふたつの眼によって遠近感や距離感を正しく認識することができるように、左右のふたつの耳に到達する音の微妙な差がその音の方向感や距離感を生み出すということは早くからわかっていた。このふたつの耳できかれる聴感覚の成因をバイノーラル効果といい、1881年のパリの電気博覧会における電話伝送のデモンストレーションにおいて、クレマン・アデルによって偶然に発見された。オペラ座の舞台から3キロメートル離れた博覧会場に電線をひき、舞台の歌と音楽を電話できかせていた。一度に多くの人にきかせるために複数のマイクロフォンが舞台におかれ、それぞれのラインの端末に受話器が接続されていた。たまたまアデルは、別々なマイクに接続された受話器を両耳にあててみたところ、舞台の歌手のうごきやオーケストラの音の方向感などが居ながらにしてわかることにおどろいた。これが記録に残る最初のバイノーラル再生であった。」

 どういう状況で¨偶然¨発見されたのかということをわかりやすくするために長めに引用した。オーディオ機器ではなく電話だった。因みに、「バイノーラル」とはヘッドフォンで直接聴く場合をいい、「ステレオ」とは2個以上のスピーカーで空気中に音を放射して再生する方式をいうらしい。

 そして、1931年にはEMIの技術者アラン・D・ブラムラインがステレオレコードの録音・再生方式の特許を得た。これは原理的には1957-58年に実現した45/45方式のステレオLPと全く同じものだった。しかし、当時の78回転のSP盤では実用化はされなかった。

 同じ頃、アメリカのベル研究所とウエスタン・エレクトリック(WE)の音響技術者たちもステレオ録音の実験を始めていた。その実験で有名なのが1933年4月27日に行われたものだった。それは、フィラデルフィアのアカデミー・オブ・ミュージックで行われたフィラデルフィア管弦楽団の演奏をマイクで受け、電話回線で首都ワシントンに送り、コンスティテューションホールの舞台に設置されたスピーカーで再生するというものだった。3チャンネル伝送方式で舞台を真っ暗にするとそこにオーケストラがいて演奏しているとしかきこえなかった、といわれている。こうした実験を重ねてWEもブラムラインとほぼ同じ方式のステレオディスク技術に到達し1938年に米国で特許を取っている。

 最も古いステレオ録音は、テープ技術を実用化していたドイツで行われた。1944年にステレオテープレコーダーが開発され、ギーゼキングのピアノ、アルトゥール・ローター指揮によるベルリン放送管弦楽団によるベートーヴェンピアノ協奏曲第5番「皇帝」だった。これは70年代になってレコード化されている。

 45/45のステレオレコードが開発されるまで様々なアプローチのレコードがあった。1952年にはエモリー・クックがレコード面を二つに分け、外側にLチャンネル、内側にRチャンネル音を記録し2個のカートリッジと専用の双頭トーンアームで再生するというものだった。当然普及しなかったが1955年頃までに約50枚のレコードが発売されたらしい。

 一般家庭用のステレオ再生のソースはレコードよりもテープの方が早かった。アメリカでは1950年にすでに発売されていたが、本格的に展開されたのは1956年にRCAビクターがステレオソースのテープを発売してからのようだ。また、50年代に入ると映画がマルチ・サウンド・トラックで立体再生の威力を広く知らしめていた。

 1953年頃、デッカとWEがステレオ・ディスク・カッティング方式の開発研究を行い始めた。WEは45/45方式、デッカは縦振動と横振動のV-L方式という別個の技術だった。1957年にはデッカとWEはテストカッティングのデモンストレーションができるまでになった。すでに大手レコード会社はステレオ録音を開始しているところが多かった。業界では方式の統一を急務と考え1958年RIAA(アメリカレコード協会、英語: Recording Industry Association of America)理事会で45/45方式が採用されることになりヨーロッパ、日本でもこの体勢に従うことになった。

 

 以上が、「レコードの世界史」(岡俊雄著 音楽之友社刊)のバイノーラル効果が発見されてからステレオレコードが誕生するまでの箇所を要約したものである。

 

 ここからは私の推測だが、ハリー・ピアソン氏はこのような録音や再生の技術的な歴史は全て知っていただろう。オーディオの技術が、1881年にバイノーラル効果が発見され-一般の方々にどれほど知られていたかはわからないが-それは少なくとも19世紀末には当時の音響の技術者の間ではすでに広く知られていたはずだ。そしてステレオ録音やステレオ再生の技術がそこに注ぎ込まれていった。そういう経緯をハリー・ピアソンは身近に感じていたからこそ日本メーカーがラジカセに「Hi-Fi」のロゴを付けて大量に売りまくっていたことに腹を立て、「ハイエンド・オーディオ」という言葉を新たに作った、と推測する。 

 

 最初のSN社の話に戻ると、もう録音とかレコードの歴史や経緯について知らなくなってきているのかなという感じがする。オーディオメーカーなのだから評論家と接する機会もたくさんあるはずだ。以前のオーディオ評論家はSPからLP、モノーラルからステレオというレコードや録音の変遷を体験した方々ばかりだった。メーカーの方が「70年代にレコードがステレオ化された」などと言おうものなら直ぐに評論家に咎められただろう。知っていて当たり前と思っていたことがメーカーや評論家でさえ知らなくなってきている。メーカーの方が事実と違うことを言ったから批判するというよりは、もうそんな時代になってしまったのかという嘆息しかもれてこない。

 日本では「ハイエンド・オーディオ」という言葉は「超高額オーディオ機器」というイメージが定着してしまったので、ハリー・ピアソン氏が提唱した「三次元的に広がるような定位感を再生するシステム」という意味での「ハイエンド・オーディオ」という言葉は定着しないだろう。日本のメーカーもそのことはわかっていて、デノンは「ビビッド&スペーシャス(Vivid&Spacious)」、ヤマハは「サウンドイメージ」という言葉を使っている。

 それにしてもES社の方はよく当時の日本メーカーの阿漕な商売の仕方を話したなと思う。穿った見方をすると、SN社の方が明らかに事実について間違った発信をしているので先に手を打ったということなのかもしれないが、真相はわからないし、訊いても本当のことは言わないだろう。