私のレコード蒐集史~レコード芸術休刊に寄せて

 71年間発売されてきた「レコード芸術」(音楽之友社)が7月号を最後に休刊した。これを機に自分のレコード蒐集史を書いてみたいと思う。

 最初にクラシック音楽を聴き始めたのは高校に入る少し前だった。ある本を読んだことがきっかけで世界の国歌を聴いてみたくなり初めてレコード店のクラシック売場に行った。すすきの玉光堂(今はもうない)の2階フロアが全部クラシック売場だった。そこで国歌のレコードと行進曲集のレコードを買った。行進曲集はCBSソニーから出ていた「ホームミュージック全集」の8巻目だった。聴いたことがあるような曲の作曲者と題名が判るようになっただけでも面白かった。他にもそういう曲があるのではないかと思いこの「ホームミュージック」全集を揃えることにした。第3巻目が「バレエ音楽」となっていてチャイコフスキーの三大バレエ音楽が入っていた。チャイコフスキーはクラシックの作曲家で最初に興味を持った作曲家になった。ライナーノートを読むと「『眠れる森の美女』を作曲した頃に『交響曲第5番』も作曲した」と書かれていた。それで「交響曲第5番」が聴きたくなってレコードを買うことにした。

 

 70年代の後半、新譜のLPレコードは2千2、3百円ぐらいの値段だった。高校生の小遣いで買うには高いので廉価盤を購入した。廉価盤だと1枚1千円から1千5百円ぐらいで買えた。チャイコフスキー交響曲第5番で買った演奏はケンペ指揮ベルリン・フィル東芝EMI盤で確か1千3百円だったと思う。特に題名もついていないし学校の音楽鑑賞の時間でも聴いたことがない曲だったが何度か聴いて全体の構造が判ってくると、45分ぐらいある曲でも退屈せずに聴けた。それから廉価盤でモーツァルトのピアノ協奏曲、ベートーヴェンブラームス交響曲ワーグナー管弦楽曲などを聴いていった。曲の情報や演奏の評論は雑誌ではなくレコード裏面のライナーノートだった。レコード店に行ってはライナーノートを読んでどんな曲なのか、どんな演奏なのかを想像して買っていた。思い通りの曲だったり演奏だったりしたこともあるが、そうではないこともあった。

 

 2年ぐらい経ち、NHKの「テレビコラム」という番組で指揮者の外山雄三さんが「日本人と第九」という題で話をしていた。そこで流れていた演奏がフルトヴェングラー指揮の第九の演奏だった。「フルトヴェングラー」という名前を何となく聞いたことがあるなあと思い、調べて見ると戦時中もドイツに留まってベルリンやウィーンで指揮をしていた指揮者だと知った。これは只者ではないと思い正月のお年玉でフルトヴェングラーベートーヴェン交響曲全集の東芝EMI盤を買った。3番、4番、5番を聴いたがそれほど良いとは思わず6番で少しいいかなぐらいだった。それが7番、9番と聴いていくと、こんなに音楽が生き生きとして鳴ることに心の底から驚いた。またこの頃は「フルトヴェングラー没後25年」で東芝EMIがフルトヴェングラーのレコードをまとめて出していたときだった。このシリーズの中に戦時中の録音も含まれていて、戦時中のライブ録音はさらに凄絶でこんなに凄い演奏があるのかと思った。それからフルトヴェングラーのレコードを全て蒐集することをライフワークにすることを決めた。

 

 大手レコード会社がフルトヴェングラーのレコードの企画をしていたので音楽雑誌でもフルトヴェングラーの特集を組んだ記事を掲載していた。それが音楽雑誌を手に取って読むきっかけだった。

 初めて読んだのは「音楽現代」(芸術現代社)という雑誌でこれは今も出版されている。また芸術現代社では「音現ブックス」というムック本も出していて、今までの「音楽現代」誌に掲載されたフルトヴェングラーの評論や対談などを収録した「フルトヴェングラーと巨匠たち」という本も出していたのでこれも買って読んだ。この時に音楽評論家の文章を初めて読んだような気がする。フルトヴェングラーの演奏を巡って福永陽一郎氏と宇野巧芳氏の見解が全く異なる対談などが掲載されていた。この時からすでに音楽評論家の言うことは自分の感想とは違うのだなと思っていた。

 こういうふうに学生時代はレコードを購入するとしても旧録音の廉価盤か再発盤ばかりだったので新譜を扱ったレコード芸術のような雑誌にはあまり興味がなく定期的に購入するということはなかった。また、この頃毎月のように通っていた「さっぽろAVシアター(当ブログ「オーディオのこと52」参照)」の会場だった札幌市教育文化会館内の視聴覚センター(現在は「札幌市生涯学習センター『ちえりあ』」に移転)に行くとレコード芸術が常備されていてそこで読むことができたので自分で購入する必要もなかった。

 新譜を購入するようになったのは社会人になってからだった。その頃、レコード芸術も買っていたような気がするが定期的に購入していたのは多分数年ぐらいだったと思う。今となってはいつからいつまで買っていたか思い出せない。「音楽現代」も気になる記事があったときは購入して読んでいた気がする。

 この頃、「レコード芸術」の録音評と「音楽現代」の「オーディオ100バカ」という記事で健筆を振るっていた高城重躬氏という方がいた。部屋の天井を巨大なコンクリートホーンにしオールホーンシステムのマルチスピーカシステムを構成。家の土台とは別にレコードプレーヤー専用の土台を造り、その上に10㎏のターンテーブル載せ1m離れたところから木綿糸を三重に回してドライブしていた。また部屋にはスタインウェイフルコンサートグランドピアノがあり、それを部屋で録音して生演奏の音と同じように再生するという「原音再生」を標榜している方でもあった。要するに「既製の高額オーディオシステム」で聴いている程度の並の「オーディオ評論家」が束になってかかってきても叶わないようなシステムで聴いている方だった。その高城氏が、CDが出てくるとレコードよりCDの方がいいと評価した。他にも黒田恭一さんなど多くのクラシック音楽評論家も、雑音がなく濁りのない低音が出てくるCDを評価していた。そのためクラシック音楽の分野はジャズやポビュラーよりも早くレコードからCDへの切替えが進んでいったように思う。

 

 その影響もありCDの新譜を盛んに買っていた時期があった。年間100枚以上のCDを購入していた時期が5,6年あったので、この頃はレコード芸術を読んでいたような気がする。音がいいと評判だった盤にデュトワ指揮モントリオール響の幻想交響曲とローマ三部作、バレンボイム指揮ベルリン・フィル幻想交響曲などがあったが、今では顧みられることはあまりない。

 

 CDとレコードでは買う前にライナーノートが読めるか読めないかがとても大きな違いだった。レコードではライナーノートを読んで買うか買わないかを決めることもあったが、CDはビニールで包装されていて購入前にライナーノートを読むことはできなくなった。購入後もレコードのジャケット裏面のライナーノートは聴きながら食い入るように読むこともあったが、CDになってからはケースからわざわざライナーノートを取り出して読むことはほとんどなくなった。

 レコード芸術を読むようになったのはそんなこともあったような気がする。それと併せて「名曲名盤」のようなムック本を読むようになった。これは「名曲」にどんな「名盤」があるのかというカタログ代りにもなっていた。何人もの音楽評論家がそれぞれ推薦する演奏に点数を付けて順位を付けるというものだった。これはレコード芸術で定期的に特集されていたようだ。

 しかし、レコード芸術の購読は長くは続かなかった。特薦盤や推薦盤を購入して聴いても必ずしも良いとは思えなかったので、新譜に興味がなくなっていったことと、購入しなくても前記した視聴覚センターで読むことができたからだった。レコードの新譜はすでに出なくなっていたためCDを購入していたが新譜ではなくレコードで買えなかった旧録音の名曲名盤CDを主に購入していた。

 

 その後、クラシックの録音も状況が変わっていった。80年代初めには「名録音」は出なくなっていた。録音に使われていたホールの老朽化と経費と名録音エンジニアの引退が重なった結果だった。89年にカラヤン、90年にバーンスタインが没してから巨匠の時代が終わり90年代半ばにはメジャーレーベルの「スター・システム」が崩壊する。有名な演奏家を前面に立てて、例えばベートーヴェン交響曲全集を録音するというようなことが経費の面からできなくなった。それほどクラシックの新譜は売れなくなっていた。旧録音のCD化もすでに一段落しクラシックの新譜は目に見えて少なくなっていった。

 1990年代後半には、創刊当時にあった「名曲の名演奏」を読者に紹介するという「レコード芸術」の役割は終わっていたと思う。生憎、全く読んでいないのでその後、どんなCDが紹介されていたのかほとんど知らないが、それからよく四半世紀も続いていたと思う。休刊が残念というよりはよくここまで出版していたなあという思いの方が大きい。

 90年代末頃から外国盤の中古レコードを購入するようになっていたのでますます新譜から遠ざかっていたし、コンサートを聴きに行くこともなくなっていたので現代の演奏家にも疎くなっていた。この頃はまだインターネットが普及する前だったのでレコード芸術の中古レコード店の広告の入荷情報には目を通すことがあった。その後、インターネットが普及しパソコンで各中古レコード店の入荷や在庫の情報が簡単に手に入るようになると雑誌からの情報はますます必要なくなった。「レコード芸術」には数年前からレコード店の広告もなくなっているのを見たときは、とうとうここまで来たかと感じた。

 フルトヴェングラーの外国盤レコード蒐集は10年余りで「コンプリートコレクション」を揃えた。それから他の名曲名盤の類いを蒐集しようとしたが、名曲名盤の外盤中古レコードは値段が高くて手が出ない盤も少なくない。買いやすい値段で演奏も録音もそれなりの水準となるとカラヤン指揮ベルリン・フィルなどドイツ・グラモフォンのレコードが多くなる。デッカ、HMV、英コロンビア、米RCA、オランダ・フィリップスなどのステレオ初期盤はかなり高額になってしまっている。

 しばらくそういうレコードは避けてきたが、最近は高額な「名曲名盤名録音」のレコードをどうにかして手に入れるようにしている。しかし、そんなレコードも無限にあるわけではなくおそらく後、数枚程度しかないだろう。それを揃えたらレコードを買うこともほとんどないかもしれない。

 

 クラシックの「名曲」はもう100年は出ていない。コンサートで「新曲」が演奏されることはある。しかし、それも数回程度だろう。「クラシックコンサート」のメインプログラムとして何度も演奏される「名曲」はおそらくもう出てくることはないだろう。いろいろと原因はあるだろうが、演奏家が現在の演奏レベルを維持するにはすでに今ある曲で一杯一杯だというのも一因だと考えている。これ以上コンサートのプログラムになるような曲が増えても、演奏する側がそこまで手が回らないのではないだろうか。

 クラシックの「名盤(演奏)」はもう出ない。新しい「名曲」がでない以上、新しい「名盤」も出てくることはない。ベートーヴェンの第九の演奏はすでに何百種類と出ている。他の「名曲」も似たようなものだ。すでに「名盤」の録音をいくつも持っている人にとってこれ以上の「名盤」など出てくる余地はもうない。「スター・システム」が崩壊した以上もう供給する側から「○○曲の決定盤」というふれ込みで新しい盤が出てくることはもうない。

 クラシックの「名録音」ももう出ない。特にオーケストラ曲、協奏曲、オペラなど大編成の曲の「名録音」は出てこない。フルオーケストラとソリストをスタジオに集めて録音し、かかった費用を回収できるほど売れるような音源を製作することはもうできなくなった。            

 今、発売されている音源は全てライブ録音になった。通常の演奏会の中で、配信あるいはディスクを製作できる見込みがある演奏会が録音されて何らかの形で聴けるようになっている。50年代末にステレオ録音が出てくるようになると演奏会で使用されるホールは録音場所としては避けられてきた。デッカ、RCA、マーキュリー、英コロンビア、HMV、DGなどのメジャーレーベルは独自の録音ホールがあり名録音はそこで生まれた。もうそのような録音場所もないし、録音エンジニアもいないし、経費もない以上「名録音」が生まれることはない。

 

 自分の「オーディオシステム」は好きな演奏家のレコードを少しでもいい音で聴くための「道具」であって、それはつまり「フルトヴェングラーのレコードを聴くためのシステム」である。フルトヴェングラーのレコードをいい音で聴くには真空管アンプとレコードだと思ってきた。80年代後半からCDとトランジスターアンプでオーディオシステムを構成していたが、90年頃に、市場から事実上なくなっていた真空管アンプとレコードでオーディオシステムを構成することにした。いわば世間の主流に背を向けるようなソフトとハードで聴くようになった。

 オーディオは「音がいい」ではなく「便利」な方に進化していった。レコードがCDに取って代わったのは車中や外出時でも聴けるからだった。2000年頃にSACDが出てくるがダビングができないため普及しなかった。そのCDもより便利なストリーミングに取って代わられようとしている。

 真空管アンプもレコードも一頃よりは当たり前に存在するようになってきたが、主流になることはないだろう。ハイレゾが出てきても最も音がいいソフトは60年代、70年代に製造されたレコードだと思うが、誰にでも手に入る物ではなくなってしまっている。

 今後は録音の黄金時代のレコードの音を少しでも多くの方々に知ってもらいたいと考えている。