オーディオのこと 60(「レコード演奏家」ということ)

 前回、「ヴィンテージオーディオ」の中で「ヴィンテージオーディオを使っている人はオーディオ機器に合わせたソフトを選んでいる」という趣旨のことを書いた。その時、オーディオ評論家の故菅野沖彦氏が提唱していた「レコード演奏家論」のことを思い出した。「オーディオマニア」、「オーディオファイル」といった言葉はあったが「レコード演奏家」と名乗るのは「面映ゆい」感じがしたものだ。(ここでいう「レコード」は「パッケージメディア全般」を指す。)

 一般に「演奏家」と云えば楽譜を読み込み作曲家の意図を想像して音にする人のことである。楽譜に書いてあることを無視して勝手に音にして演奏することは許されない。それなら自分で作曲すべきで他人が作曲した曲をねじ曲げて改竄するようなことは許されない。演奏家とはそういうものだ。

 これを「レコード演奏家」に置き換えてみると、作曲家、演奏家だけではなく録音エンジニアの意図とかねらいも考慮してオーディオシステムから音を出す人のこと、といえるのではないだろうか。これを「原音再生」という人もいるがこれについては言葉の定義が違うと思っている。

 人間の耳というのは音量によって高域と低域の聞こえ方が違う。音量が小さくなると高域と低域の感度が鈍くなるので小さい音量で聴くときは高域と低域を上げる必要がある。そうしないと人間の耳ではフラットな周波数に感じ取れないからだ。大きなホールで出す音をそのままの縮尺で家庭の部屋で聴いてもいい音にはならない。そのためにデフォルメが必要になる。そこが録音エンジニアの腕の見せ所となる。録音エンジニアは勝手に音を弄っているのではなく、家庭で出す音量で聴く時にどのような音のバランスにするとよく聞こえるかということを考慮してミキシングをしている。録音エンジニアをもっと信用していいと思う。

 例えば模型の世界でもスケールモデルは実物の寸法をそのまま縮小したからといって見映えのいい模型ができるわけではない。小さくしたときに実物らしく見せるにはデフォルメ(変形)をしなくてはならない。録音でも同じことがいえる。ホールよりも小さい家庭の部屋という空間で本物らしく聴かせるにはデフォルメが必要なのである。

 

 昨年、ジャズのヴォーカルのレコードを買ったときに、ヴォーカルが引っ込んでいて物足りないと感じたときがあった。クラシックでは左右スピーカーを結ぶ線の辺りに音像が定位しても違和感はないが、ジャズだとどうしても物足りなさがある。タンノイのスピーカーとウエスギのアンプだとクラシックには向くがジャズには向かないという声も聞こえてきそうだ。

 そこで考えたのが録音を担当した録音エンジニアの「ねらい」だった。このレコードを再生したときに録音エンジニアはヴォーカルが引っ込むような録音をするはずがないと考えた。そのためセッティングの見直しをした。2組あるラックの左側のラックの上段にはプリアンプ、フォノアンプ、CDプレーヤー、クリーン電源を重ねて設置し、左側ラック内のパワーアンプの上にはサブソニックフィルターを載せていた。右側のラック上段にはレコードプレーヤーだけを設置していた。パワーアンプの上にサブソニックフィルターを載せるのは音に良くないのはわかっていたが、左側の上段にこれ以上機器を重ねるわけにもいかずそのままにしていた。

 何かいい方法はないかと思案していたら、ウエスギのフォノアンプは木枠で囲まれているのでこの上にレコードプレーヤーを載せてもラックの棚板に載せるのと変わらないのではないかと考えた。そこで、レコードプレーヤーの下にフォノアンプを置き、ラック内に置いていたサブソニックフィルターをCDプレーヤーの上に置いた。そうするとジャズのヴォーカルが前に出てくるようになった。クラシックでも協奏曲ではソロ楽器が前に出てきて伴奏のオーケストラはスピーカーを結ぶ線のままという具合に前後の音場感が拡がった。この音を聴いたときに録音エンジニアの方たちのオーディオ機器で再生したときにどのような音になるかという「ねらい」を再現できたような気がした。

 前回のブログでヴィンテージオーディオを使用している人たちはオーディオ機器に合ったソフトを選んでいると書いた。「レコード演奏家」はこのように作曲家、演奏家だけではなく録音エンジニアの録音の「ねらい」も考慮してオーディオ再生をする人のことではないかと思い至った。