舞台の音と客席の音

 前回のブログは、NHKBSで放送されたドキュメンタリー番組「最高の音響を求めて」について、番組内容がとても興味深かったのでその内容を書いた。 

 その中で、ホールの音響のこととは直接関係が無いと思い、書かなかったことがある。それはオーケストラの楽団員が座る位置で音がどのように聞こえるかという実験を行っている箇所だった。その実験を行った場所はベルリンのコンツェルトハウス。オーケストラ内の演奏者を選び、その頭付近にカメラとマイク2本を設置し、そこで聞こえる音の印象を比較するという実験だった。オーケストラはベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団、曲はベートーヴェン交響曲第3番「英雄」第1楽章。

 

 まず、通常の録音や客席の真ん中辺りで聞こえるような音が出てくる。ここで見逃されがちなのが、映像は各奏者のアップになるが、マイクの位置は指揮者の後方の上に吊されたマイクで拾った音なので各奏者がアップなっても音は変わらない、ということだ。カメラは何台も設置されているので各奏者を映し出すカメラのアングルはそれぞれ違うので、アップ画像といっても客席から双眼鏡で観ている画像とは違うのである。生演奏では座席が違えば音も見え方も違うが、オーケストラを録音録画した映像では画面が変わっても音は変わらない。このことは今一度頭の片隅に入れておく必要がある。

 

 次にオーケストラ(このときの配置は両翼配置で向かって左から第1ヴァイオリン、チェロ、ビオラ、第2ヴァイオリン。ビオラの奥にホルン、チェロの後ろにオーボエ、その奥にティンパニィ。)内の演奏者と指揮者の位置での聞こえる音の違いが出てくる。カメラとマイクは1.指揮者。2.指揮者正面、主席チェロの隣のチェロ奏者。3.第1ヴァイオリン、コンサートマスターのすぐ後のヴァイオリン奏者。4.右奥の主席ホルン奏者。5.チェロの後ろの首席オーボエ奏者。6.正面最後列のティンパニィ奏者。それぞれにマイク2本とカメラを設置し、映像と音を切り替えていた。

 指揮者の位置の音が通常の録音で聴く音のバランスに近い。各演奏者の座席位置ではそれぞれの楽器の音と周辺の近くの楽器が大きく聞こえ、通常の録音や客席で聴く音とはかなり違うバランスに聞こえる。

 

次に、各奏者が実際にどう感じて演奏しているか、という話をご紹介したい。

・首席オーボエ奏者「私たちはどんなホールにも適応しなくてはなりません。耳元の音がひどくてもすばらしく響く場合もあります。」

 

・首席ホルン奏者「問題は我々の感じる音と観客の聴く音が違うこと。演奏者同士でも隣の人の音は大きすぎると感じたりします。仲間の感じ方を優先するか、指揮者に従うか、あるいは正確な音を出すことに集中するか、観客にはどう聞こえるかといつも悩みます。」

 

・第1ヴァイオリン副コンサートマスター「前列にいると仲間の顔も音もよく分かり、独りではないと感じます。第1ヴァイオリンの場合5~6列目の外側に座ると“貧乏くじ”だと言われます。ひどい言い方ですが、演奏しづらい。自分と隣の音しか聞こえず音量の判断が難しいのです。」

 これらの話から言えるのは、オーケストラの演奏者は、全体の中で自分が出している音が全体のバランスの中で大きいか小さいかは判断できないということだ。

 

 このことを踏まえた上で思い出すのは今年、HTBで放送された札響のドキュメンタリー番組「札幌交響楽団喝采」の中で常任指揮者マティアス・バーメルトがリハーサルで楽員に対して話したことである。「とても大切なことをひとつお話しします。間違った音を出したら恥ずかしいですよね?では強弱を間違えるのはどうでしょう?作曲家は音と同じように強弱も意図を持って書いているんです。音の強弱に気をつけて演奏するのは音を外さないようにするのと同じくらい大切なのです。」

 もちろんこのことは客席にどう聞こえるかということとは違う話ではあるが、演奏者は指揮者が求める音の強弱を全体のバランスの中で、音程と同じようには自分で判断することはができない、ということは言えると思う。このバーメルトの話を最初に聞いたときは、音を外すことと音の強弱を間違えることは演奏者個人の能力の問題かと思っていたが、音の強弱は演奏者自身では判断しづらいことのようだ。バーメルトの要求はかなり高度なことだと理解した。