2019年PMF音楽祭等 前半の感想

 

 7月6日の「Kitaraのバースデイ ティエリー・エスケシュ オルガンリサイタル」から14日の「PMF GALAコンサート」まで15回のうち6回までの前半のコンサートを聞き終えたので感想を書いてみた。

 6日のオルガンリサイタルはオルガンの他、打楽器や映像との即興演奏など多彩な演奏会だった。エスケシュは作曲もしており今回の演奏会でも3曲演奏されている。オルガンというのは、演奏会を開くぐらいのプロなら誰が弾いても同じようなものかと思っていたが、エスケシュの演奏は淀みなくスムーズに流れるようで素人の耳にも上手いと感じさせてくれた。Kitaraの専属オルガニストのオルガンシリーズが半額で売られていたので、まだ購入していなかったCDを全部揃えた。

 9日、「PMFホストシティ・オーケストラ演奏会」。札響とPMFの教授陣たちの指揮とソロによるコンサートで、ドヴォルザーク序曲「謝肉祭」、モーツァルト協奏交響曲ブルックナー交響曲第6番だった。指揮はホルンで有名なラデク・バボラーク、協奏交響曲ソリストは、

オーボエ アンドレアス・ヴィットマン

クラリネット アレクサンダー・バーダー

ファゴット シュテファン・シュヴァイゲルト

でそれぞれベルリン・フィルの首席奏者たちである。

「謝肉祭」は札響にはエリシュカ指揮によるCDがある。フェアウェルコンサートのシェエラザードの次に収録されている2010年4月第527回定期演奏会の録音である。このときの演奏は全体に厳しさというか張り詰めた雰囲気が感じられるが、9日の演奏はより暖かく柔らかい感じを受けた。

 モーツァルト協奏交響曲ベルリン・フィルの首席奏者とホルンはバボラークだが、13年にバボラークのホルンを聴いて、世の中にこんなにホルンが上手い人がいるのかと感心した記憶がある。今回は指揮も兼ねているせいか期待したほどの音ではなかった印象だ。他のソリストは流石だが、音が少し引っ込み気味だったのが気になった。

 ブルックナーは普段あまり聴かない。それでもコンサートのプログラムに載れば事前にレコードを聴くぐらいのことはしている。普段からその程度なのであまり詳しくは書けない。特に眠くもならなかったのでそれなりに良かったのかなという感じだ。でも、ツイッターを見てみると好きな人には物足りなかったようなコメントも見受けられる。

 

 10日はPMFウィーンで、ウィーン・フィル弦楽器の(元)首席奏者による弦楽四重奏だった。

第1ヴァイオリン ライナー・キュッヒル(元コンサートマスター

第2ヴァイオリン ダニエル・フロシャウアー

ヴィオラ ハインリヒ・コル

チェロ シュテファン・ガルトマイヤーだった。

プログラムはハイドン弦楽四重奏第1番、ドヴォルザーク弦楽四重奏第8番、ベートーヴェン弦楽四重奏第16番、シェーンベルク ノットゥルノだった。

 弦楽四重奏ではチェロ以外の奏者が立ったまま弾いていた。第1ヴァイオリンのキュッヒルがぐいぐい引っ張るアンサンブルという印象。アカデミー生も多数聴きに来ていた。シェーンベルクコントラバス、ハープに加え、アカデミー生も入っての演奏だった。こういうのを見聞きできるのもPMFの楽しみだ。アンコールはヨハン・シュトラウスの春の声とチャイコフスキー弦楽セレナードのワルツという本場のワルツが聴けた。聴衆も大喜びだった。

 

11日はPMFベルリンでベルリン・フィルの(元)首席管楽器奏者の演奏会だった。

フルート アンドレアス・ブラウ(元首席奏者)

オーボエ アンドレアス・ヴィットマン

クラリネット アレクサンダー・バーダー

ファゴット シュテファン・シュヴァイゲルト

ホルン サラ・ウィリス

トランペット タマーシュ・ヴェレンツェイ

トロンボーン イェスパー・ブスク・ソレンセン

パーカッション フランツ・シンドルベック だった。

 事前に案内されているプログラムは「ピアソラ他」とあるだけで、当日にならないと誰がどんな曲を演奏するのはわからなかった。管楽器の室内楽というのは普段からあまり聴くことがないので演奏の細かいところの良し悪しまで論評することはできないが、聴いていてとても楽しいコンサートだった。ほとんど聴いたことがないような曲でも、聴いていられるのは、コンサートは聴覚だけではなく視覚も重要だということなのだろう。昨日のウィーン・フィル弦楽器奏者の方々も聴いていた。

 

 13日はN響の札幌公演だった。プログラムはモーツァルトヴァイオリン協奏曲第5番とマーラー交響曲第4番。指揮はローレンス・レネス、ヴァイオリン独奏は服部百音(もね)、ソプラノはマリン・ビストレムだった。座席は普段聴いている札響定期のすぐ後ろの席にした。

 ヴァイオリン協奏曲は昨年12月でイザベル・ファウスト、3月の札響定期でアレクサンドラ・スム、6月の札響定期で竹澤恭子と聴いているので、彼女たちと比べると酷かもしれないが線の細さは否めなかった。時々、オーケストラにヴァイオリンがかき消されることがある。テクニックは問題ないだろうけど、本当に聴衆を感動させる演奏ができるかどうかはこれからかなと思った。

 マーラー交響曲第4番では編成が16型になり管楽器も増えて音の厚みが増した。マーラー交響曲の中でも第4番は比較的編成が小さく管楽器がやや聴き映えするような録音や演奏が多いが、弦楽器の編成を大きくし弦に厚みのあるマーラー交響曲を十分に堪能できる演奏だった。

 その上で、やはり札響との響きの違いについても書いておきたい。座席を札響定期のすぐ近くにしたのはそのためでもある。

 まず、弦の高音域の響きが札響とは違う。札響は高域にツヤがあるような音色だが、N響はそこまでの特色はない。しかし、これは好き好きかもしれない。弦で気になったのはコントラバスがほとんど聞こえてこなかったこと。ずっと見ているので弾いているはずなのだけれど音が客席まで届かない。音が通ってこないのはフルートとオーボエもそうだった。札響だと弦が大きくなってもフルートやオーボエといった高音域の管楽器はその間を縫うように客席まで届いてくる。管楽器でよく聞こえていたのはピッコロとクラリネットとホルンだった。ホルンは確かに素晴らしかった。ヴァイオリンの音の厚みに他の音が聞こえなくなる箇所がしばしばあり、音が大きくなったときに厚みはあるが前に出てこないという感じもあった。

 札響だと音が大きくなるとホール一杯に響き渡りながらも、弦、管、打楽器とはっきり分かれて聞こえてくる。また、オーケストラがそのように聞こえるのがKitaraのホールの特徴かと思っていたが、オーケストラが変わるとやはり響き方も変わるようだ。

 

 14日はPMF GALAコンサートを聴きに行ってきた。GALAは初めて聴きに行く、というのもGALAは人気があってすぐに売り切れてしまうので聴く機会がなかなか無かったからだ。今年は最終日ではなく、日程の中間の日に設定されたためか比較的チケットを入手しやすかった。

 司会付きで始まり、小山実稚恵さんのピアノによるショパンの曲、郷古廉さんのバッハとイザイの無伴奏PMFアカデミー生によるヴェルディ歌劇「リゴレット」から第3幕の四重奏「美しい恋の乙女よ」、PMFウィーン&ベルリンによるヨハン・シュトラウス喜歌劇「ジプシー男爵」序曲とヨーゼフ・シュトラウスの「うわごと」だった。

 ピアノとヴァイオリンのソロや声楽、室内楽があるという絢爛豪華なコンサート。小山さんの演奏は安定感がある。郷古さんのヴァイオリンは技術的には素晴らしかったが音色としてはもう少し冴え渡る響きが欲しかった。また来月の札響定期に期待したい。声楽の四重奏は、そつなく熟しているという感じで、表現力はこれからに期待したい。PMFウィーン&ベルリンによる演奏は堂に入った演奏だった。

 

 後半はJ.アダムス「ショート・ライド・イン・ア・ファスト・マシン」というアメリカの現代曲で始まった。続いてPMFオーケストラと前半でヴァイオリンソロを弾いた郷古廉によるチャイコフスキーヴァイオリン協奏曲、指揮は第1回PMFバーンスタインに招かれて以来の参加となるマリン・オルソップ。オルソップの指揮は見ていて動きが大きく次にどの楽器に注目したらいいのかがわかりやすい。郷古さんのヴァイオリンは角が丸い感じがする。チャイコフスキーの協奏曲ではもう少し角がある演奏の方がよかった。

 古典交響曲は、オルソップの指揮がとても冴え渡った。速い箇所で音が流れそうになるところでも一音一音しっかりと際立たせていた。

 「バラの騎士」組曲ではウィーン・フィルベルリン・フィルの首席奏者が加わりこれでもかというぐらい響きが豊かになった。もちろんそれはバラの騎士に相応しい。ただ、リズムが時々重苦しくなるところもないではなかった。しかし、そんな演奏が聴けるのもPMFの楽しみといえる。

 見ていて気がついたのが、コントラバスの1プロトにジャーマン式とフレンチ式を組み合わせていたことだ。何か意図があってのことだと思うが理由はわからない。

 全体的に今年のPMFオーケストラは、この奏者上手いなあと感心するようなアカデミー生は見当たらなかった。といっても下手だということではない。まだまだ演奏家の卵であってキャリアの入り口に立っただけだ。文章の中では足りないものは足りないと書いたが、それだけまだまだ伸びる余地があるということだ。アカデミー生たちが今後、どんな表現を身につけて、またこのKitaraで演奏してくれるかを楽しみにしたい。