ロンドン交響楽団

 令和4年(2022年)10月3日、サー・サイモン・ラトル指揮ロンドン交響楽団の演奏を札幌コンサートホールKitaraで聴いてきた。海外のオーケストラの来札は3年ぶりになる。

 プログラムはシベリウス交響詩「大洋の女神」、交響詩「タピオラ」、ブルックナー交響曲第7番(ベンヤミン=グンナー・コールス校訂版)。

 編成は15-13-11-9-8型でコントラバスが最後列に横一列に並ぶ両翼配置だった。席はLB席前方。

 

 1曲目の「大洋の女神」は先月、オッコ・カムの指揮による演奏を札響定期で聴いているのでそれとの比較も楽しみだった。札響定期のときは「神秘的な弦の響きと高揚感」があったと書いたが、今回はそこまでスケールが大きな演奏には感じなかった。オーケストラの違いというよりは指揮者の解釈の違いだろう。うまくまとめた演奏ともいえる。ゆったりとした出だしから自然に盛り上がって収束したという印象。

 

 2曲目は「タピオラ」。シベリウスについては前回の札響定期のブログで「冬の晴天の日の寒さ」があると書いたがロンドン響の音色にはそれはなかった。演奏はよくまとまっていて各セクションの繋がりも滑らかだった。

 

 3曲目は「交響曲第7番」。これも昨年、札響60周年の定期演奏会で、バーメルト指揮で聴いている。全体的に演奏は比較的あっさりしていたのは指揮者の解釈だろう。コントラバスを最後列に横一列に配置したウィーン・フィルスタイルはとても効果的で、始終、低音がホール一杯に響いていた。金管の咆吼も迫力があったし弦のアンサンブルも見事で、これこそ「標準的」な「名演」だと感じた。

 

 しかし昨年、聴いた札響の演奏とは随分と印象が違う。札響の方がもっと緊張感もあったしもう少しスケールの大きな演奏だった。しかし、今回のロンドン響の方が正統で標準的な演奏だと感じた。もしかしたら普段聴いているKitaraで札響を聴くことは世界的にも独特なことなのかもしれないと考えたりもした。