オーディオのこと 55(あるメーカーの主張する音)

 先日、某社(ここではX社としておく)の試聴会に行ってきた。試聴会には某オーディオ評論家も来ていた。X社の製品は何かと話題になっていたがなかなか聴く機会がなかったのでどんな音がするのかとても気になっていた。X社は通常の製品作りとは違う手法を取った方が音は良くなると主張していた。例えばアンプの天板はネジなどで固定するのではなく載せただけにする方が「生きた音」になり固定すると「音が死んでしまう」と主張していた。また、クロック用ケーブルも固定せずにグラグラとなるような接続方法を採っている。

 X社の責任者はSNSでも配信していてそういう情報ばかりが先行している中、果してどんな音がするのかと興味津々だった。しかし、結論から言うと全くの期待外れだった。少なくとも私がイメージする「生きた音」とはかけ離れたもので、X社が主張する「生きた音」とは「音像がぼやけた柔らかい音」という印象でしかなかった。

 それでもメーカーが、これが「いい音」でこれこそが我が社が考える「生きた音」だというならそれはそれでいい。後はオーディオ愛好家がそれをどう判断するかだ。

 しかし、私が許し難いと思うのは、X社が主張する音こそが「生きた音」でそうではない音は「死んだ音」と言っていることだ。これではX社とはコンセプトが違う他社の製品を「死んだ音」しか出ない製品と言っているに等しい。

 試聴会でも固定されていないアンプの天板に重石代わりのインシュレーターを載せた時と載せない時、クロックケーブルの接続部分を固定した時と固定しない時の音の比較をしていた。X社は当然、載せない時、固定しない時の音を「生きた音」とか「音楽が生きている」とX社の責任者の方と某オーディオ評論家は話していた。私は載せた時、固定した時の音の方が可能性のある音に感じた。少なくとも音像がぼやけたような音を好まない。こんなことを言ったらX社の方からは「音楽が死んでいるのがいいんですね」とか「死んだような音が好みなんですね」などと言われるだろう。もはや好みを通り越して「生きている」「死んでいる」というような言い方で自分とは違う好みを持っている人を貶めるような言い方をするメーカーというのは許すことができない。

 こんなメーカーはメーカーではなくSNSを利用した的屋とか大道香具師みたいなものだと思った方がいいのではないか。このようなメーカーと一緒になっている某オーディオ評論家も全く同じだ。

 高級オーディオ市場では新参メーカーなので過激なことを言わないと注目してもらえないという焦りなのかもしれないがあまりにも度を超しているのであえてブログに書いた。