オーディオのこと 59(ヴィンテージオーディオ)

 オーディオには「ヴィンテージオーディオ」と言われる分野があり、専門店もある。「ヴィンテージ」とは日本語にすると「年代物」と云っていいと思う。スピーカーだとタンノイのオートグラフ、JBLオリンパス、ハーツフィールド、アルテックのA5、A7などが有名だ。アンプだとマッキントッシュマランツ、クォードの真空管アンプなどがあり、レコードプレーヤーならガラードなどがある。

 オーディオに興味を持ち始めた80年代初め頃には昔のオーディオ製品は「過去の物」という扱いだった。生活用品の中古品を扱っている店でタンノイの大型スピーカーがいろいろな物に混じって置かれていたのを憶えている。世の中は真空管アンプからトランジスターアンプ、大型フロアスピーカーから中型ブックシェルフスピーカーへと移っていった時期だった。その頃はまだ「ヴィンテージ」という言い方は一般的ではなく、「中古品」だった。

 50年代末にステレオLPが発売されてから「Hi-fi(ハイファイ 高忠実度再生)」と云うことが謳われるようになりオーディオ機器が進歩していった。その頃はまだ真空管アンプと能率が高い大型スピーカーの時代だった。海外製品が多くて値段も高く、とても気軽に買えるような値段ではなかった。そのため欲しくても買えなかった人たちの一部は自作派になった。おそらくこの頃の「オーディオマニア」とは自作派のことだったかもしれない。

「買えない製品」だったオーディオ機器を「買える製品」にしたのが国産トランジスターアンプと新素材を使った国産スピーカーの登場だった。トランジスターアンプはそれまでの真空管アンプよりパワーがあり、歪も少なく、出力トランスがない(OTL)ので値段も安かった。新素材を使用したスピーカーはそれまでの大型スピーカーより周波数特性が伸び、歪も少なかった。能率は少し劣るがトランジスターアンプはパワーがあったので問題はなかった。オーディオ機器は「買える製品」になり、多くの人たちがオーディオ機器を買い求めた。70年代に始まるオーディオブームにはこのような時代背景があった。

 国産オーディオ機器はその後、オーディオ市場を席巻していった。80年頃にはすでに真空管アンプはほとんど市場から姿を消し、トランジスターアンプになっていた。スピーカーもエンクロージャーが響くような複雑な構造の大型スピーカーよりも、ウーファーが30㎝前後、重量が30㎏前後の中型ブックシェルフスピーカーが主流になっていた。かつて「高額で買えない憧れの製品」に過ぎなかった「オーディオ機器」はトランジスターアンプと中型ブックシェルフスピーカーの登場で、「オーディオ機器」は「手が届く買える製品」となり普及していった。

 

 80年代は、主に国産製品を推奨していた音楽之友社のステレオ誌とFM雑誌のオーディオ評論、それに対して海外製品を推奨していたステレオサウンド誌のオーディオ評論というようにオーディオ評論も二つに割れていた。前者は国産の値段が比較的手頃でC/P比(今風でいうなら¨コスパ¨)が高い製品を推奨していた。後者は値段が高くても「主張があり、味がある」音がする製品を推奨していた。前者の評論家で有名だったのが長岡鉄男氏でFM誌では絶大な人気があった。音楽之友社などで健筆を振るっていた高城重躬氏はとてもメーカーに影響力があった。高城氏の「原音再生」の方法で製品開発をしていたメーカーもあった。後者の代表はステレオサウンド誌の常連の評論家で有名なのは菅野沖彦氏、瀬川冬樹氏などだった。前者は、海外製品は値段が高いだけで音が「原音」からかけ離れすぎていると主張していた。後者は、国産は「無味乾燥」で音楽的ではないと主張していた。 

 当時、新製品は雨後の竹の子のように次々と出ていた。ステレオ誌は月刊、FM雑誌は隔週刊、それに対してステレオサウンド誌は季刊で3ヶ月に1回の発行だった。オーディオ機器は日進月歩で進化していて新しい方が性能もよく音もいいと思われていた。情報量も人気も前者の方に分があるように見えた。

 「ヴィンテージ」という言葉が一般的になったのはバブル期に有名なワインが身近になってからだったと思う。それがいつのまにかかつて憧れで買えなかったオーディオ機器にも転用されたのではないかと推測している。国産の新製品は雑誌を賑わせている「光」のような存在だった。それに対してヴィンテージ製品はステレオサウンド誌に掲載されている中古オーディオ店の広告で見るぐらいで「影」のような存在だった。

 それがバブル崩壊後の90年代中頃に状況が変わる。大手電機メーカーが相次いでオーディオ市場から撤退し始めた。ローディー(日立)、ダイヤトーン(三菱)、オーレックス(東芝)、テクニクス松下電器あるいはナショナル 現パナソニック)、NEC、ヤマハ、ビクター、ソニー、オットー(サンヨー)など。オーディオ専門メーカーのパイオニア、トリオ(ケンウッド)、サンスイ、オンキョーも大幅に製品を縮小していった。FM雑誌も相次いで廃刊した。またこの頃、テレビの「開運!なんでも鑑定団」という番組などの影響もあり、オーディオ製品に限らず「中古品」でも高い値段が付くことに多くの人たちが気付き始めた。「光」がなくなると「影」もなくなったのである。

 90年代後半、外国盤中古レコードを購入するようになるとその店に来る人たちの中に

ヴィンテージオーディオ店に出入りしているらしい人がいた。かつての真空管アンプやスピーカーがとても高い値段になっていることを知った。この頃、すでに「ヴィンテージオーディオ」という言葉は広く知られるようになっていた。「中古」が全て「ヴィンテージ」になったわけではなく、それなりにブランド力のある製品を「ヴィンテージ」と呼ぶらしい。

 

 昔のオーディオ機器はどんな音がするのだろうと、一度興味を持って郊外の住宅地の中にあるヴィンテージオーディオ店に行ってみた。中に入るとその頃よく行っていた中古クラシックレコード店で見たことがある人(N氏としておく)がいた。店員の方に「ヴィンテージオーディオの音を聴いてみたくて来た。」と話すと「今、どんなシステムでどんなレコードを聴いているのですか?」と訊かれたので「オーディオシステムのアンプはウエスギ(上杉研究所)でスピーカーはタンノイのスターリングTW、よく聴くレコードはフルトヴェングラーです。」と正直に答えた。するとN氏が「最悪だな、ウエスギなんて値段が高いだけで中を見たら全然だめだ。」とつぶやくように言った。店員がN氏を少し遮りながら、「解像度が高いとか周波数が伸びているのがいい音ではない。やわらかい音がいい音だ。」という趣旨のことを言った。「スピーカーは振動板から音が出るのではなく、エッジから出る。だからエッジは硬くなくてはならずゴム(スターリングはゴムだった)ではダメだ。」などと講釈を始めた。それではということで音を聴かせてもらうと、芯がないボワッとした音で、高域も低域も出ていなかった。「こんな音のどこがいいのか」と言う言葉が喉元まで出掛かったが何とか我慢した。特に音について何も言わないでいると、店員とN氏はMCトランスもウエスギではダメで「ここで音が死んでいる(某S社の開発責任者のようだ)」というようなことを言ってまずはMCトランスから替えた方がいいようなことも言ってきた。店員は一つ一つ私に言ってきたことをN氏にこれでいいかと確認を取っているようだった。

部屋の広さも訊かれたので「10畳ぐらい(本当はもう少し広いが)」と答えるとN氏は「それなら○○ではなく××でいいのではないか」などという始末だった。店員は私が何も言わないことに少し苛立ちを見せ始め、タンノイ、ローザーなど展示しているスピーカーをあれこれ鳴らし始めた。

 フルトヴェングラー東芝盤WFの「悲愴」のレコードもかけたりしたが、「フルトヴェングラーなんて鳴らないレコードを聴いているし。」というような捨て台詞のようなことをN氏に向かって言い、店員とN氏は連携しているようだった。「鳴らないのではなく鳴らせないだけだろう」と言いたかったがここでも我慢した。いい時間になったのでさっさとこのオーディオ店を後にした。店に来る前はどんな音がするのだろうという期待もあったがこれなら自分には関係ない機器だと見切りを付けることができた。

 オーディオ店では何も言わなかったが、中古レコード店ではいろいろと言った。店主に「あんな音をいい音だと思っている人たちが少ないことが驚きだった。」という趣旨のことを散々言った。そしたら数日後、この中古レコード店にN氏が来ていた。おそらく店主から私が何か言っていなかったか様子を見に来ていて、店主も多分話しただろう。N氏は変な顔をしてこちらを見ていたが何も言葉は交わさなかった。それ以降この中古オーディオ店には行っていない。

 

 10年ぐらい前に旅行のついでにオーディオ機器を揃えている喫茶店巡りをしたことがある。ほとんどがジャズ喫茶だったが、行ったところは全て「ヴィンテージスピーカー」で、音は先に書いた「中古オーディオ店」で聴いたような「芯のないボワッとした音」か「バランスを無視した迫力だけの音」のどちらかだった。あるジャズ喫茶では片チャンネルに15インチのウーファーを2発(左右で4発)使用していた。確かに迫力はあるが、音のバランスを全く欠いていた。そこのマスターはその迫力こそがオーディオシステムだと言わんばかりだった。この15インチ4発ウーファーの威力が発揮できる曲をいい曲と判断しているようだった。感想を求められても、このオーディオシステムで商売をしている人にそのままの印象を言うわけにはいかないので何も言わなかった。黙っているのもなかなか辛いのでオーディオ喫茶巡りは数年で止めた。

 東京に旅行したときに銀座のオーディオ店であまり見たことがない海外製ということぐらいしかわからない横長の「(多分)ヴィンテージスピーカー」を聴かせてもらったが高域も低域も伸びていない普通の音だった。店員から「どうですか」と感想を求められたが、何も答えられなかった。

 

 結局、今のところヴィンテージスピーカーとのいい出会いはなかった。しかし、ヴィンテージ機器の音はいいと思っている人は少なくない。ただ、ここまで「生の音」とかけ離れている音をいいというのは基準がよくわからない。「生の楽器に近い音」、「演奏者の表現のわかりやすさ」、「ハーモニーの美しさ」などはやはり「いい音」の条件であると思う。今まで聴いてきた「ヴィンテージ機器」はそれらの条件とは全く逆だった。

 また、「ヴィンテージオーディオを使用している人たち」の中には、非ヴィンテージ機器への「憎悪」と「軽蔑」がある人が少なくないように思われる。長い間「影」の存在だったことの裏返しなのかSNSで突然、他人の現代的なオーディオシステムに噛みついてくる人を見かけるが根底にはそういう気持ちを持っているのではないだろうか。

 「オーディオ」というのは音楽を聴くためのものだと思ってきたが、「ヴィンテージオーディオを使用している人たち」はまず「ヴィンテージオーディオ機器ありき」で音楽はその次なのだろう。それぞれ価値観が違うということではとても勉強になったが、これからもあまり接点はなさそうな気がする。