オーディオのこと37 3月22日 大佛次郎記念館 サロンコンサート 使用機器一覧

○カートリッジ

 形からオルトフォンのMC-20スーパー(中古)のように見えるが、文字が違うように見えるのではっきりとは判らない。

 後ろにある予備のカートリッジはフェーズメーション。型番は判らないが、新製品の500(242,000円)かフラッグシップモデルの2000(484,000円)ではないかと推測。

 

○トーンアーム

 オルトフォン RMG309(中古) ロングアーム。

 

○フォノモーター

 ガラード 301(中古) イギリス製、アイドラードライブ。

 アームやキャビネットと併せて中古価格で30万から50万ぐらい。状態がよければもっと値段が高いものもある。

 

○CDプレーヤー

 マランツ SA-7S1(中古) 2007年に発売された製品。当時の価格で700,000円(税抜き)。

 

○フォノイコライザーアンプ

 フェーズメーション EA-1000(990,000円)CR型の真空管式フォノイコライザーアンプ。

 

○プリアンプ

 フェーズメーション CM-2000(1,650,000円) 厳密には増幅部を持たないので「アンプ」ではなく、メーカーでは「コントロールマイスター」と称している。高いインピーダンスで受けて音量調節のみを行う機器。

 

パワーアンプ

 フェーズメーション MA-2000(1,375,000円×2)真空管式のパワーアンプ。無帰還回路で直熱三極管300Bのパラレルシングル。出力25W。

 

○スピーカー

 TAD CE1(コンパクト エボリューション ワン 1,012,000円×2) 上のユニットはツゥイーターとスコーカーの同軸型となっている。3ウェイのブックシェルフ型。

 

※アナログシステムとCDプレーヤーは個人の持ち物ではないかと思う。フェーズメーションは横浜のメーカー。総額は約8~900万。 

オーディオのこと 36(上杉研究所のプリアンプの変遷)

 2020年秋に上杉研究所から待望のプリアンプU・BRОS-280Rが発売されるという告知があった。1月に納品される予定が諸般の事情により3月末になった。この280Rのことについて書く前に同社のプリアンプの移り変わりを書いておきたい。

 同社のホームページには設立趣旨が書かれている。そこから引用すると「一貫してオーディオアンプにおける真空管の優位性を主張してきた創業者上杉佳郎氏は、この主張の正当性を、製品化を通じて市場へ提供する目的で1971年に有限会社 上杉研究所を設立」した、とある。この頃すでにアンプは真空管からトランジスターへ変わっていた。設立当初は兄の上杉卓郎氏と共に製作していて、継続生産品に付けられる「U・BRОS」というのは「ウエスギブラザース」の略で、限定品に付けられる「UTY」はウエスギ、タクロウ、ヨシオの頭文字から来ている。

 1975年に上杉研究所の最初のプリアンプU・BRОS-1が出た。フォノイコライザーアンプが内蔵されていて電源が別筐体になっていた。アンプというのは大きく分けて電源部と増幅部に分けられる。アンプというのは交流の音声信号を直流で増幅する機器であり、電源部は50Hz(東日本)または60Hz(西日本)100ボルトの交流電源から直流電源を作る役割を持っている。真空管の場合は数百ボルトの直流電圧が必要になるが、これは人体には危険なためアンプの内部で作っている。そのためむやみに素人がアンプの内部に触らない方がいい。電源部を別筐体にするメリットは、カートリッジから送られてくる数ミリボルトという低い電圧と数百ボルトという高い電圧を扱う部分を別々にすることによって干渉を少なくすることにある。

 U・BROS-1は、見たことはあるが音を聴いたことはない。横に長く普通サイズのラックには入らないと思われる。それと別に電源筐体があるのでかなり置き場所には工夫が必要になるだろう。

 1988年にU・BROS-8が発売になった。理由はU・BROS-1の発売から13年が経ち、当時と同じパーツを入手することができなくなったためのようだ。U・BROS-8はフォノイコライザーが除かれ、電源部と増幅部が一体となり、ラックに収めやすくなった。すでにこの頃はCDが主流になりフォノイコライザーを不必要とする傾向が出てきたためラインアンプとして発売したらしい。この頃CDが普及してきたことに伴い、プリアンプ不要論が持ち上がっていた。CDプレーヤーから音量調整だけのフェーダーボックスに入れ、パワーアンプに接続する方が音はいいという考え方である。それに対して上杉研究所では、プリアンプは、デジタル機器特有のコモンモードノイズを除去したり、デジタルソースを無機的人工的ではなくしなやかでナチュラルなサウンドにしたりするというプリアンプの必要性を説いていた。このアンプは試聴したこともなく、実物でも見たことがない。

 1990年にU・BROS-12が発売になった。U・BROS-8はコストパフォーマンス重視だったがU・BROS-12はプリアンプとして極限の性能に挑戦して設計開発した、とカタログには書かれている。このアンプを購入したのが1992年で今まで使ってきた。

 1993年にU・BROS-18が発売された。この頃になるとCDプレーヤーも高級化が進み、出力端子にバランス端子を装備する機種が増えた。上杉研究所ではアンバランス電送の方がシンプルでいいという立場だったが、ユーザーからの要望も多く、バランス入力を装備したプリアンプを発売することにしたようだ。

 アンプにバランス入力端子がなくて、CDプレーヤーにバランス出力端子がある時、プリCDプレーヤーのバランス出力を生かすために、バランスをアンバランス(RCAピンプラグ)に変換するケーブルで接続するといいというのは止めた方がいい。最悪の場合、アンプが壊れることがある。オーディオメーカーでそのようなバランスをアンバランスに変換する端子のケーブルは発売していないのはそのためである。このアンプは東京のオーディオ店で一度見たことがあり、音も聴かせてもらったが違いまではわからなかった。スペックではU・BROS-12とほとんど変わらない。

 1994年にUTY-12が発売された。この頃からもうなくなりかけていた真空管アンプの製品が少しずつ増えてきた。そのため上杉研究所でも少しでも多くの方々に真空管アンプの良さを理解してもらうために価格を抑えた製品を出したということらしい。この製品は中古で見たことはあるが、聴いたことはない。

 2002年にU・BROS-28が発売された。U・BROS-18とほとんど変わらないように見える。通常の真空管アンプ真空管式のパワーアンプとの組み合わせを前提として設計されているが、U・BROS-28は入力インピーダンスが10KΩ以上のトランジスタアンプと接続してもベスト・マッチングする、とカタログには書かれている。この製品は見たことも聴いたこともない。

 2004年にU・BROS-31が発売された。これはU・BROS-30というパワーアンプと対になるプリアンプを発売して欲しいという要望に応えるために発売されたらしい。U・BROS-30はかつてキットバージョンとして発売していたU・BROS-1Kというモデルを再発売して欲しいという要望に応えるために発売されたアンプだった。このアンプのMarkⅡバージョンを高域用アンプとして使用している。

 U・BROS-31はラインアンプではなくフォノイコライザーアンプとトーンコントロールが内蔵されたアンプだったが、価格を抑えるためバランス入力は省かれた。この製品は見たことも聴いたこともない。

 2010年に上杉研究所の創業者である上杉佳郎氏が逝去された。これでウエスギアンプも終わりかなと思ったが、現代表の藤原伸夫氏が後継者となって新製品を出すことになった。藤原氏は日本ビクターやフェーズメーションにいた方で超弩級トランジスタパワーアンプの設計製作もされていた。

 2011年にU・BROS-2011PとU・BROS-2011Mというプリアンプとパワーアンプのセットが発売された。2011Pがプリアンプで2011Mがパワーアンプである。2011PはU・BROS-28をベースにフォノイコライザーアンプを内蔵させ、電源スイッチも「バチン」と入れるトグルタイプからロータリー式となった。

 2011Pと2011Mの組み合わせは試聴会で聴いたことがある。ラックスマン、オクターブ、上杉研究所という合同の試聴会だった。製作者が変わってもウエスギの音が継承されていて尚且つ進化していることを実感できた。もしかしたら使用していたU・BROS-12よりも良かったかもしれないが、買替えたいとまでは思わなかった。

 2015年にU・BROS-280が発売された。これまでのウエスギアンプとの相違点は、双三極管で左右の信号を増幅していたが、それを左右独立の真空管を採用することにしたこと、低域補正機能が付いたこと、リモコンで音量調節ができるようになったことなどが挙げられる。

 280はU・BROS-12を修理に出している間の代機器としてお借りして自宅で試聴したことがある。左右の分離がよく低音がとても良く出ていた。過大な音が入力するときには歪み気味だった音が、余裕があるためか音がストレートに出てくる感じだった。2011Pよりもはっきりとウエスギアンプの進化を感じ取れた。しかし、その頃すでに次期モデルの話を伺っていたのでそのモデルを待つことにした。

 2020年10月に待望のU・BROS-280Rが発売するとのアナウンスがあり、概要が発表された。280は増幅部を独立させたことに加え、280Rは電源とボリュームも左右独立になった。モノラルのプリアンプ2台が一つの筐体に収っているような感じににった。これは確実に音が良くなる要素なので試聴せずに購入を決めた。

 近いうちに納品の予定なので詳しい試聴記はその時に書きたい。U・BROS-12、280、280Rを比較して技術的にここが変わると音がどう変わるかということを中心にした内容になると思う。

音 楽 日 和 ~JAF会員のための音楽会~

 令和3年(2021年)3月16日「音楽日和~JAF会員のための音楽会」を聴きに行ってきた。

 プログラムはシベリウス組曲「カレリア」、シベリウス/ヴァイオリン協奏曲、モーツァルト/歌劇「魔笛」序曲、ヴェルディ/歌劇「シチリア島の夕べの祈り」、ワーグナー/楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲だった。

指揮は飯森範親、ヴァイオリン独奏は金川真弓、演奏は札幌交響楽団

 会場は札幌文化芸術劇場hitaruで1席置きの配置で半分の入場者数だった。

 

 第1曲目は「カレリア」。編成は12型。「間奏曲」、「バラード」、「行進曲風に」の3曲で構成されている。弦も管楽器もとてもいい響きを醸し出していた。

 第2曲目はヴァイオリン協奏曲。最初の透明感があるソロの出だしから、どんどん引き込まれていった。曲想が変化してもリズムが変わらないので聴いていて引っかかることがない。ヴァイオリンがオーケストラの音にかき消されることもなく、ヴァイオリンのソロがはっきりと聞こえ、オーケストラの伴奏もしっかりとついていた。第2楽章ではソロとオーケストラの呼吸がよく合っていて聴き応えがあった。第3楽章ではポロネーズ風のリズムもルバートも的確で飯森さんの指揮も良くサポートしていた。

 シベリウスのヴァイオリン協奏曲の愛聴盤はフルトヴェングラー指揮クーレンカンプの演奏で、何度も聴いている。何となくクーレンカンプの演奏の記憶を辿りながら、重ね合わせて聴いているとほとんど変わらないという気がしてきた。違うところというとクーレンカンプのようにはポルタメントを使っていないことぐらいだ。次はこう演奏してほしいなあという期待がそのまま音になるような演奏だった。

 こんなに愛聴盤と生演奏が同じようなことは初めての体験だった。金川真弓さんのプロフィールを見るとドイツ生まれでヴァイオリンもドイツ演奏家財団のドイツ国家楽器基金から貸与されたペトラス・グァルネリウスとある。ドイツのヴァイオリニストであるクーレンカンプと何か共通点があるのかもしれないが、詳細はわからない。アンコールはシューベルトの魔王だった。

 シベリウスのヴァイオリン協奏曲があまり衝撃だったので、後半にも引き摺る感じになった。

 第3曲目は「魔笛」序曲。編成は10型。編成が小さくてもオペラの序曲としての劇的効果は十分に発揮されていた。

 第4曲目は「シチリア島の夕べの祈り」序曲。編成は12型。前半の序奏と戦いを象徴する激しく叩きつけるようなリズムが対照的に表現されていた。

 第5曲目は「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲。編成は12型。この演奏会で一番聴きたかった曲。出だしから重々しく始まり、芸術の動機のトランペット、哄笑の動機のクラリネットもよかった。後半のマイスタージンガーの対位法や低弦、チューバもよかった。会場によっては対位法の一方が聞こえて一方が聞こえないということもあるがどちらもはっきりと聞こえていた。

アンコールはエルガーの威風堂々第1番だった。

 

 全体を通してだが、3月は日程が混んでいてリハーサル時間もあまり取れなかったのだろう。もう少しリハーサル時間があったらと思うところもないわけではなかった。

 hitaruがオープンして間もない頃、樫本大進のソロでブラームスのヴァイオリン協奏曲を聴いたが、ヴァイオリンのソロとオーケストラの音が混然一体となっていたように記憶している。それがこの日はヴァイオリンのソロとオーケストラが分離してそれぞれがはっきりと聞こえた。hitaruの音も日増しに好ましい方向に変わってきていることも実感した。

 

オーディオのこと 35(トーンアームの調整方法)

 アナログブームということで一時はなくなりかけたレコードプレーヤーも手頃な価格で音も良さそうな製品が出てくるようになった。アナログシステムが普及していくのはいいが、レコードプレーヤーの調整というのはなかなか難しい。中でも一番、面倒なのが、オーバーハング調整とアームの高さ調整だと思う。

 オーバーハングとはカートリッジをスピンドルに持って行ったときの針先からスピンドルの中心までの長さのことをいう。レコードは外側から中心に向かって半径と垂直にセットされたカッターでカッティングされる。それを再生するときは支点があるアームが弧を描くように再生するのでカッティングされた角度とズレが生じる(トラッキングエラー)。そのため「オフセット角」を持たせてレコードの外周からターンテーブルの中心にあるスピンドルの少し先まで移動するようにするとトラッキングエラーをかなり少なくすることができる。アームがS字に曲がっていたり、ストレートアームでカートリッジを内側に傾けて取り付けたりするのはこのオフセット角を作るためだ。

 このオーバンハングはアームによって決められている。その決められた長さに調整するのだが、実際にやってみると結構大変だ。アームをカートリッジの針をむき出しにしたままスピンドルのところに持って行って12㎜とか15㎜の長さを、スピンドルの中心と針先の距離を、定規をあてて目視で測るというのは至難の業である。スピンドルの中心といっても目検討でしかわからないし、上からではわからないので横から見てこの辺りが中心だろうとか、アームも斜め上を向いているので針先の正しい位置もおおよそしかわからない。そのため測る度に1㎜ぐらいはいつもずれている。   

 使用しているアームは、シェルとアームが接触する面から針先までの長さを50㎜にしてカートリッジを取り付けるとオーバーハング(15㎜)がとれるように設計されている。先程のスピンドルのところで測るよりは楽だが針先とシェルとアームの接合面は高さが違うのでこれも目視で検討をつけて測っていた。

 

 アームの高さ調整もなかなか難しい。ターンテーブルにレコードを載せて針を降ろした状態でアームが水平になるようにするというのが正しいセッティングの仕方だ。カートリッジのカンチレバーの角度やスタイラスの取り付け角度などはアームが水平であることを前提にして作られているからだ。アームが水平になるように調整することも実際にやってみるとなかなか大変だ。水平がどうかを見るのに方眼が入った三角定規を使うのが一般的だ。これをレコードの上に載せるのだが、レコードにはグルーブガードがあり縁が少し盛り上がっている。そこに定規が載ると定規自体が水平にならない。またS字アームのように曲がっていると測る場所も限られる。なんとか三角定規を水平に置ける場所を探して目視で水平を測るのだが、アームに対して垂直方向から見なければならない。目線を固定して左右が同じ高さになっているか確認するのだが、左を見て右を見ている間に1㎜も目線を動かさないというのはやってみると大変な作業だ。何度も何度も本当に水平になっているか確認するのだが、目が疲れてくるし見る度にずれてしまう。

 三角定規もアームにぴったり付けなくてはならないが、垂直に立てることはできないので少しアーム側に傾けることになるがあまりアーム側に傾けると余計な重さを加えてしまい針先が下がる。結局、これぐらいで好いだろうというところに設定しているというのが現状だった。

 

 しかし、何とかして厳密に50㎜なら50㎜、水平なら水平をしっかりと測って調整したい。何か良い方法はないかと思ってふと気付いたのがノギスを使うことだった。ノギスは外径と内径が測れるようになっている。シェルとアームの接合面から針先まで50㎜をノギスで測るのだが、ノギスだと接合面に引っかけることができるので測りやすく誤差も少なくなる。実際に測ってみると1㎜程ずれていたので調整し直した。

 アームの高さは内径の方で測る。レコードをターンテーブルに載せカートリッジを降ろすところまでは同じだが、レコード盤の上ではなく、レコードプレーヤーのパネル面で測れば良いので楽だ。測る場所はシェルとの接合面の直ぐ近くと支点の近くでかなり長く測れるし、曲がっていても気にしなくていい。実際に測ってみると支点側が1㎜ぐらい上がっていた。

 アームの高さ調整はネジを2箇所緩めて上げたり下げたりするのだがその加減が大変で、1㎜下げるというのも至難の業である。少し下げて調整したつもりだったが念のため次に測ってみると逆にシェル側が1㎜上がっているときもある。そんなときもノギスを使うと便利だ。測ってみて支点側が1㎜程上がっているとするとノギスの内径を測る方でその時のアームの高さを測り1㎜広げて固定する。その高さに再びアームの高さを調整すると1㎜高くすることができる。

 支点側が下がっていると高域が下がり低域が上がる。逆にシェル側が下がっていると高域が上がって低域が下がる。同じ高さになるように調節すると音が安定した。

 

 アームの高さは目視で水平になっていればよく、それほど音には関係ない、という意見もあるが厳密に調整すると音はいい方に変わる。それらの調整にはノギスがあるとかなり厳密に調整できてとても便利なのでご紹介した次第。

第635回札幌交響楽団定期演奏会

 令和3年(202⑴年)3月5日、第635回札幌交響楽団定期演奏会(hitaru代替公演)を聴きに行ってきた。

 

 プログラムはリャードフ「魔法にかけられた湖」、尾高惇忠「チェロ協奏曲」、ラヴェルマ・メール・ロワ組曲、「ダフニスとクロエ」第2組曲だった。チェロ独奏は宮田大、指揮者は尾高忠明だった。開演前に尾高惇忠氏の逝去に伴い札響事務局長から挨拶があった。

 1曲目は「魔法にかけられた湖」。編成は14型。今年度の定期演奏会のテーマは「おとぎ話」でこの曲も「おとぎ話的な絵画」という副題が付いている。リャードフはロシアの作曲家でロシア民謡を生かした曲をたくさん作っているらしい。この曲は風や波を描写した美しい音楽だった。それをとても幻想的に響かせていた。

 

 2曲目は「チェロ協奏曲」。編成は12型。プログラムには尾高惇忠氏の「チェロ協奏曲ノート~初演によせて」という手記が掲載されていたのでそれをここに全文引用したい。

「この協奏曲は2016年3月、日本フィル定期(広上淳一指揮・サントリーホール)でのピアノ協奏曲初演を終えた後、次はチェロ協奏曲を・・・との想いが拡がり、そこから構想を練ったもので、2017年11月8日に完成しました。丁度この頃、チェリストの宮田大 君が拙作『独奏チェロのための瞑想』(1982、全音)を独奏チェロのためのリサイタルで取り上げてくれ、私もサントリーホールへ足を運びました。その素晴らしい演奏にすっかり魅了され、その時、チェロはこの人に、そして指揮は弟の忠明にしてもらえたら、と心に決めたのでした。

 時は流れ、この度の札響定期演奏会で宮田大 君のチェロ、そして指揮は忠明という私の願ったメンバーでこの曲が初演されることになり、大変嬉しく思っています。そしてまた、本日寒い中お越し下さったお客様方をはじめとする関係者の皆様に、この場を借りて改めて感謝致します。

 

 曲は独奏チェロと標準的な2管編成により、3つの楽章で構成されています。

 第1楽章では前述の『独奏チェロのための瞑想』を独奏チェロという極めて限定された枠から解き放ち、今度はより多様な可能性を持つオーケストラという媒体と共にある時、私の瞑想はどのような拡がりを聴かせるか、というようなことを模索しながら書き進めていきました。

 第2楽章は、2015年に出版された『12のピアノ作品』(全音)に収められた『レクイエム』を編曲したもの。その時のノートに「この曲はいつの日かオーケストラにしてみたい」というコメントが有り、それを実現させる形となりました。歳を重ね、最近では後期高齢者などという嫌な称号を与えられた私の極めて内相的な曲となっており、チェロの高音域での美しい響きを求めています。

 終曲(第3楽章)は極めて短い序奏のあと、Assez Vif(十分に生き生きと)の速くてリズミカルなスケルツォ風の音楽が続き、それはやがてテンポを落としてAndante(アンダンテ)となって優しいロマンチックなチェロの歌が歌われます。その後再びAssez Vifの音楽が、今度はより積極的に展開され、発展して終結部へ至ります。ここでは第1楽章冒頭の瞑想的な音楽が静かに再現され、独奏チェロのラ音の反復が提示されますが、これは私の祈りの象徴として置かれ、それは無限の宇宙空間へと導かれて行きます。

(2021年1月9日)」

 

 第1楽章は「瞑想」で第2楽章が「レクイエム」、第3楽章が「やさしいロマンチックな歌」とあるように非常に内的な曲だった。楽器の一音一音がチェロと共に静かに沈潜するように響いていた。

アンコールはバッハ無伴奏チェロ組曲第1番からメヌエットジーグだった。

 

 休憩後の3曲目は「マ・メール・ロワ組曲。編成は14型。2016年1月の第585回定期にバーメルト指揮で聴いている。聴いた後、レコードを探したが、手頃な価格のものがなく結局いままで買えなかった。短い美しい曲がちりばめられている組曲で、繊細な響きでおとぎ話の世界を表現していた。

4曲目は「ダフニスとクロエ第2組曲」。編成は14型で変わらないが管楽器と打楽器が増えた。

 この曲は1995年にウィーンに行ったときにムジークフェラインザールでズービン・メータ指揮ウィーン・フィルの演奏で聴いているし、2004年にベルリン・フィル札幌コンサートホールKitaraで公演したときサイモン・ラトル指揮で聴いていて、どちらもよく印象に残っている。ウィーン・フィルはオーケストラ全体が一体となった響きが素晴らしかったし、ベルリン・フィルは目の前に巨大な空間が拡がる圧倒的な音量が記憶に残っている。札響では2015年1月の第576回定期にユベール・スダーン指揮で聴いているが、この時の印象はあまり記憶に残っていない。ダフニスとクロエ第2組曲ウィーン・フィルベルリン・フィルの生演奏を聴いた記憶があるのでどうしても評価が辛くなる。

 しかし、この日の尾高忠明指揮による札響の演奏は見事に期待に応えてくれた。「夜明け」は水平線から次第に太陽が昇り、空高く照らす様子を見事に表現していた。高さを感じさせる響きが素晴らしかった。「無言劇」は木管の軽妙なリズムと静寂のバランスが見事。「全員の踊り」では複雑なリズムをオーケストラが一体となって叩きつけるように鳴らしていた。5年前よりも札響の演奏は良くなっていると思う。

 3月28日にNHKFMで放送されるので録音は忘れないようにしたい。

札幌交響楽団 新・定期演奏会hitaruシリーズ 第4回

 令和3年(2021年)2月25日札幌文化芸術劇場hitaruで第4回新・定期演奏会を聴いてきた。

 プログラムは伊福部昭「交響譚詩」、ハイドン「チェロ協奏曲第1番」、チャイコフスキー交響曲第5番」だった。指揮は広上淳一、チェロは佐藤晴真だった。

 当初はR・シュトラウスのホルン協奏曲が予定されていて、ホルンにはラドヴァン・ヴラトコヴィッチが弾く予定だったが、来日が叶わず曲目と出演者が変更になった。

 

 1曲目は「交響譚詩」。14型の編成。譚詩とはバラードのことで、アレグロの第1楽章とアンダンテの第2楽章からなる。「ゴジラ」を思わせるようなリズムやパンフレットには「津軽じょんがら節」のおもかげがある旋律があるともかかれている。札響でも22回も演奏歴があることからも比較的頻繁に演奏されているらしい。重々しいリズムと幻想的な響きが印象的だった。

 

 2曲目は「チェロ協奏曲」。8-8-6-4-2の編成。チェロの佐藤晴真はミュンヘン国際音楽コンクールチェロ部門で、日本人として初めて優勝した22歳の新進気鋭のチェロ奏者、とパンフレットには書かれている。来日できなかったヴラトコヴィッチとは「ミュンヘン国際音楽コンクール優勝者」という共通点がある。

 編成が小さくなってもオーケストラの音は各セクションともはっきりと聞こえる。チェロは少し線が細い感じがするがこの曲にはそれほど欠点にはなっていない。テクニックは申し分ないので、低弦をもう少し鳴らせるようになるともっと響きが豊かになり規模の大きい曲でも聴かせられるようになると思う。

アンコールはバッハ/無伴奏チェロ組曲第1番より サラバンドだった。

 

 3曲目は「チャイコフスキー交響曲第5番」。14型の編成。札響はなぜかこの曲を「得意」としていて、厚生年金会館で定期演奏会をしていた頃から、最近あまりいい演奏が聴けていないと感じていても、この曲になるとなぜか調子が良くなるという曲だった。

 冒頭、クラリネットが主題を奏で低弦が絶妙なバランスで伴奏をする。木管楽器が弦楽器に消されることがない。スコアに書かれている全ての楽器の音が聴き取れ、オーケストラ全体の響きが厚く、フォルテッシモでも音が混濁することがない。

 第2楽章のホルンの柔らかいソロが朗々と響き渡り、普段聞こえないようなファゴットがとても良く聞こえ、この曲でこんなにファゴットが活躍しているとは思わなかった。フィナーレで金管が高らかに主題を奏でるところでも弦楽器がかき消されることはなく音に広がりがある。

 普段聴き取れない第2ヴァイオリン、ヴィオラファゴットがこんなによく聴き取れるとは正直思わなかった。

 指揮者の広上さんは何も奇を衒うところがなく、期待通りの演奏で札響から音を絞り出していた。

 また、再開後、札響の透明感がある弦の音色がなくなってしまったと思っていたが、この演奏会ではその透明感がある音色が戻ってきていた。

 

 当初、hitaruで聴くステージ上のオーケストラの印象は、中音域は良く聞こえるが高域と低域がカットされているようなホールだと思っていた。昨年、10月末にKitaraが休館するためhitaruで演奏することになり、しばらくの辛抱かと思っていた。それが、11月のマーラー交響曲第5番、12月のペトルーシュカを聴いて金管もかなり響くのだなと感じるようになった。そして1月のブルックナー交響曲第8番、新世界交響曲で低弦や木管も聴けるようになってきたと思った。それが今回のチャイコフスキー交響曲第5番ではオーケストラの全てのセクションがとても良く聞こえるようになり、札響の透明感ある音色も戻ってきた。

 演奏中、こんなに音がいいホールだったかなと思いながら聴いていた。札響の音も変わったのだろうけどホールの響きも変わっているとしか思えない。hitaruでこれだけ聴けるのならKitaraでなくてはならないということもないかもしれない。hitaruとKitaraの違いは残響がKitaraの方が少し長いぐらいで、その他はあまり変わらなくなってきたように思う。

 

hitaruオペラプロジェクト プレ公演「蝶々夫人」

 令和3年(2021年)2月21日(日)、札幌文化芸術劇場hitaruで歌劇「蝶々夫人」を観てきた。指揮は柴田真郁、演奏は札幌交響楽団。札幌文化芸術劇場hitaruと北海道二期会の共催となっている。

 

 主な配役は、蝶々夫人は佐々木アンリ(ソプラノ)、ピンカートンは岡崎正治テノール)、シャープレス領事は今野博之(バリトン)、スズキは荊木成子(メゾ・ソプラノ)、ゴローは西島厚(テノール)、ケイト・ピンカートンは東園己(メゾ・ソプラノ)だった。演出は岩田達宗である。

 

 蝶々夫人は映像で何度か観たことがある。最近でも2年ほど前にMETライブビューイングで観たが舞台が日本であるためか普段よりも多くの観客が見に来ていた。本公演も1席おきの座席配置だったが早々にチケットは売り切れていたようだ。

 

 パンフレットによると蝶々夫人はミラノ初演版と2回目のブレシア版、3回目のパリ版があり、パリ版が現在の決定版となった。今まで何度か映像で観た「蝶々夫人」もこのパリ版のようで、それは異国の夫に裏切られ絶望して命を絶つという設定だった。それがhitaruオリジナル版ではパリ版で削除された箇所をブレシア版に変更したりして、他者からは決して蹂躙されない日本人の魂を前面に出した演出となっている。ピンカートンと結ばれなかったら死を選ぶという女性ではなく、差別や偏見にも負けない気高い女性として描かれているのである。

 ピンカートンは日本に再び戻ってきたときには、車椅子に乗り、蝶々夫人とも会わずに去って行く。残された子供のことは本妻であるケイト・ピンカートンとのやり取りだけで解決される。

 車椅子に乗ったピンカートンを観たとき、D・H・ロレンスの「チャタレー夫人の恋人」のチャタレー卿を思い出した。ピンカートンが下半身不随となり子供ができないため積極的に子供を引き取るということにした、という設定なのかと感じた。

 プッチーニのオペラは、ヴェルディとは対照的に、様々な事柄が個人的なことに収れんしていくという解説を以前聞いたことがある。だとすると今回のhitaruオリジナル版は今までのプッチーニのオペラとは違った側面を描き出している画期的な演出と言えるかもしれない。

 

 蝶々夫人役の佐々木アンリさんは2年前の「椿姫」での素晴らしい歌唱がまだ記憶にある。今回も気高い蝶々夫人を見事に歌いこなしていたと感じた。ピンカートン、シャープレス領事、スズキも聴き劣りすることのない歌唱だった。管弦楽もとても効果的に伴奏していた。

 

 第2幕の最後の方でティンパニがかなり大きな音で何度か叩く箇所がある。1階席の右後方の座席だったが、正面からの直接音と左の壁に反射する音が聞こえてきた。hitaruも当初の印象とは違って音響効果のいいホールであることを認識し直した。ネットで有料配信されるようなので他のオペラハウスと聴き比べるといろいろと違いがわかるかもしれない。