令和5年(2023年)を振り返る

 今年も年末になったので今年のコンサートとオーディオのことを中心に振り返りたい。 

 今年は札響主催の定期演奏会、hitaru定期、名曲コンサートは全て聴いた。今、改めてブログを読み返してみたが、どれも甲乙付けがたくレベルもそれなりに高かったので際だってよかったというコンサートは特になかった。聴きに行く度にまた次も聴きに来ようと思わせてくれる演奏ばかりでどれも素晴らしかった。

 それ以外ではウィーンプレミアム、PMFなども聴いた。ウィーンプレミアムはウィーン・フィルのメンバーによるウィンナ・ワルツを中心にしたプログラムだった。もちろん素晴らしいが普段聴けないような演奏とまでは思わなかった。普段、日常的に聴いている札響の演奏レベルが高くなっているのでもう外国のオーケストラを聴いても-違いはもちろんあるが-驚きまでは感じなくなってしまったのかもしれない。もう少し自分なりに違った観点から関心を持って聴くようにしないとコンサートにも飽きてしまうかもしれない。

 オペラはフィガロの結婚サロメドン・カルロを鑑賞することができた。オペラはまだ実演に接する機会が今まで少なかったので新鮮な気持ちで鑑賞することができるそうだ。

 札幌以外で聴いたコンサートは6月に東京オペラシティホールで東京フィルハーモニー交響楽団を聴いただけだった。本当はもう少し道内外の地域でコンサートを聴きたかったのだけで結局果たせなかった。昨年から行きたいと思っていた関西方面にもまだ聴きに行っていない。宿泊費の値段も上がっているので行きづらくなっている。来年はどうなるだろう。

 

 オーディオでは3月にラインケーブルをラックスからアコースティックリバイブに変更したこと。6月にステレオカートリッジの片チャンネルが断線し、直すには針交換価格がかかるので思いきって光カートリッジに変更することにした。しばらくモノラルカートリッジで聴いていたが、買取業者も12月のボーナス前の方が売りやすいだろうと考えて11月初旬にカートリッジ、フォノアンプ、ケーブル類を買取りに出し、その他諸々で何とかフォノアンプ買替えの予算を捻出することができた。納品は来年になるらしい。オーディオ誌の試聴記事ではかなり高評価という内容になっているがこればっかりは実際に聴いてみないとわからない。

 6月に断線したステレオカートリッジはフェーズメーションのPP-2000という製品だった。値段が高かったがスタイラスは減らないというメーカーの言葉を信じて購入することにした。しかし、まさか断線するとは思わなかった。

 光カートリッジも普及モデルか標準モデルにするかで悩んだが、安いモデルを購入してもすぐに高い方が欲しくなると思ったので結局高いモデルにした。

 

 レコードは3月にショルティ指揮/ニーベルングの指環全曲の英盤オリジナルを購入した。きっかけはリマスター盤が出たので英盤オリジナルとどちらの音がいいかということだった。いろいろな人に聴いてみたがリマスター盤がいいという方とオリジナル盤がいいという方がいて結局購入して聴き比べるしかないと決め、英盤オリジナルの方が奥行き感、ダイナミックレンジなどに差があり英盤オリジナルで揃えることにした。セカイモンという通販サイトで購入すると売れているレコードなのかリマスター盤で揃えるより安かった。 

 それ以来、セカイモンで「クラシック名録音106究極ガイド」(嶋護著 ステレオサウンド社刊)に掲載されているレコードを主に蒐集することにした。年末に30枚近く購入したが、フォノアンプがまだ納品されていないので聴くのは来年になる。聴けるようになれば空気録音を上げるつもりでいる。

 

 オーディオもレコード蒐集も先が見えてきたし、コンサートにも新たな発見がないとなるといろいろと煮詰まってしまったのかもしれない。とりあえずは新しいカートリッジとフォノアンプで今までのレコードを聴いてこれからのことを考えてみたい。

オーディオのこと 63(立体音響あるいはハイエンド・オーディオについて)

 「ハイエンド・オーディオ」という言葉は、普通は「(買えそうもないような)高額なオーディオ機器」をイメージしがちだが、国内のSN社の2021年3月1日のフェイスブックにはこう書かれている。

 「ハイエンドと言う言葉ですが、日本では『高級な』とか『高額な』とか『高性能な』と言う意味で使われるのが普通で、『ハイエンド・オーディオ』で検索しても、『超高額なオーディオ』と言う意味しか出てきません。しかしながら、ハイエンド・オーディオと言う言葉の本来の意味は全然違うのです。

 話はレコードがステレオ化されてきた1970年代に遡ります。最初のころはステレオと言っても、左がボーカルで右が演奏とか、真ん中がドラムスで左右がピアノとベースとか、そんな感じでした。ところが、少ないマイク本数でシンプルに録音がなされたステレオレコードを優秀な装置で再生すると、『まるで演奏会場の空気感まで再現され、三次元的に広がるような定位感が生まれる』という驚くべき現象が、1970年台後半に米国の音楽評論家であるハリー・ピアソン氏らによって発見されたのです。

 彼らは、この様な再生が可能な装置や、それを使って空間再生を目指す姿勢について、『ハイエンド・オーディオ』と言う言葉を提唱し、それを世界中に広めて行ったのです。」

 また、令和5年(2023年)6月10日にSN社のオーディオ試聴会があった時、講師を担当したオーディオ評論家のW氏が次のように話していた。「『ハイエンド・オーディオ』というのは必ずしも高額な機器という意味ではなく、1970年代にハリー・ピアソン氏が提唱した『演奏会場の空気感が再現され、三次元的に広がるような定位感を再生するシステム』のこと」という話があった。

 これらの話の中で、まず「レコードがステレオ化されたのが1970年代」と言っているのは明らかに違う。レコードがステレオ化されたのは1950年代末で、それからすでに20年近くも経っているし、ステレオ録音・再生の実験はそれよりも前に始まっている。「三次元的に広がるような定位感」はすでにその頃広く知られていた。

 また、それにも関わらずオーディオに造詣が深いはずのハリー・ピアソン氏がなぜ1970年代になってわざわざこんなことを唱え始めたのかということも大きな疑問だった。

 

 その謎が解けたのが12月2日にオーディオ試聴会に参加したときにES社の担当者の話を聞いてからだった。ES社の方は次のように話していた。

アメリカのオーディオ誌でES社のプリアンプが賞をもらった。実はアメリカのオーディオ誌で日本メーカーが賞を取るのは大変なのです。それは1970年代後半、日本メーカーが中国で製造した安いラジカセに「Hi-Fi(ハイファイ)」というロゴを貼り世界中に売りまくっていた。それに抗議してハリー・ピアソンが『我々はもうHi-Fiという言葉は使わない。替わりに真面目に作られた製品を「ハイエンド・オーディオ」として紹介していく』と。そのため今でも海外のオーディオショウでは日本メーカーに対して偏見があるらしく、その中での受賞だった。」という話をされていた。

 これを聞いてようやくハリー・ピアソン氏が70年代になって突然、「ハイエンド・オーディオ」という言葉を使い始めたのかという疑問が解けた。「ハイエンド・オーディオ」という言葉は、日本メーカーが当時、安かろう悪かろうの製品を「Hi-Fi」と称して大量に売ることに対するアンチテーゼとして生まれたので日本では-ハリー・ピアソン氏が云う意味での-「ハイエンド・オーディオ」という言葉を使えなかったのだろうと想像する。そのため本来の意味での「ハイエンド・オーディオ」という言葉は最近まで聞いたことがない。

 

 ここで元々、「立体的な音響」がいつ頃から始まったかをまとめて書いておきたい。1986年(昭和61年)に「レコードの世界史」(岡俊雄著 音楽之友社刊)という本にその経緯が書かれているのでそれを要約してみた。「立体的な音響」がどのように発見されたかについて次のように書かれている。

 「人間の視覚がふたつの眼によって遠近感や距離感を正しく認識することができるように、左右のふたつの耳に到達する音の微妙な差がその音の方向感や距離感を生み出すということは早くからわかっていた。このふたつの耳できかれる聴感覚の成因をバイノーラル効果といい、1881年のパリの電気博覧会における電話伝送のデモンストレーションにおいて、クレマン・アデルによって偶然に発見された。オペラ座の舞台から3キロメートル離れた博覧会場に電線をひき、舞台の歌と音楽を電話できかせていた。一度に多くの人にきかせるために複数のマイクロフォンが舞台におかれ、それぞれのラインの端末に受話器が接続されていた。たまたまアデルは、別々なマイクに接続された受話器を両耳にあててみたところ、舞台の歌手のうごきやオーケストラの音の方向感などが居ながらにしてわかることにおどろいた。これが記録に残る最初のバイノーラル再生であった。」

 どういう状況で¨偶然¨発見されたのかということをわかりやすくするために長めに引用した。オーディオ機器ではなく電話だった。因みに、「バイノーラル」とはヘッドフォンで直接聴く場合をいい、「ステレオ」とは2個以上のスピーカーで空気中に音を放射して再生する方式をいうらしい。

 そして、1931年にはEMIの技術者アラン・D・ブラムラインがステレオレコードの録音・再生方式の特許を得た。これは原理的には1957-58年に実現した45/45方式のステレオLPと全く同じものだった。しかし、当時の78回転のSP盤では実用化はされなかった。

 同じ頃、アメリカのベル研究所とウエスタン・エレクトリック(WE)の音響技術者たちもステレオ録音の実験を始めていた。その実験で有名なのが1933年4月27日に行われたものだった。それは、フィラデルフィアのアカデミー・オブ・ミュージックで行われたフィラデルフィア管弦楽団の演奏をマイクで受け、電話回線で首都ワシントンに送り、コンスティテューションホールの舞台に設置されたスピーカーで再生するというものだった。3チャンネル伝送方式で舞台を真っ暗にするとそこにオーケストラがいて演奏しているとしかきこえなかった、といわれている。こうした実験を重ねてWEもブラムラインとほぼ同じ方式のステレオディスク技術に到達し1938年に米国で特許を取っている。

 最も古いステレオ録音は、テープ技術を実用化していたドイツで行われた。1944年にステレオテープレコーダーが開発され、ギーゼキングのピアノ、アルトゥール・ローター指揮によるベルリン放送管弦楽団によるベートーヴェンピアノ協奏曲第5番「皇帝」だった。これは70年代になってレコード化されている。

 45/45のステレオレコードが開発されるまで様々なアプローチのレコードがあった。1952年にはエモリー・クックがレコード面を二つに分け、外側にLチャンネル、内側にRチャンネル音を記録し2個のカートリッジと専用の双頭トーンアームで再生するというものだった。当然普及しなかったが1955年頃までに約50枚のレコードが発売されたらしい。

 一般家庭用のステレオ再生のソースはレコードよりもテープの方が早かった。アメリカでは1950年にすでに発売されていたが、本格的に展開されたのは1956年にRCAビクターがステレオソースのテープを発売してからのようだ。また、50年代に入ると映画がマルチ・サウンド・トラックで立体再生の威力を広く知らしめていた。

 1953年頃、デッカとWEがステレオ・ディスク・カッティング方式の開発研究を行い始めた。WEは45/45方式、デッカは縦振動と横振動のV-L方式という別個の技術だった。1957年にはデッカとWEはテストカッティングのデモンストレーションができるまでになった。すでに大手レコード会社はステレオ録音を開始しているところが多かった。業界では方式の統一を急務と考え1958年RIAA(アメリカレコード協会、英語: Recording Industry Association of America)理事会で45/45方式が採用されることになりヨーロッパ、日本でもこの体勢に従うことになった。

 

 以上が、「レコードの世界史」(岡俊雄著 音楽之友社刊)のバイノーラル効果が発見されてからステレオレコードが誕生するまでの箇所を要約したものである。

 

 ここからは私の推測だが、ハリー・ピアソン氏はこのような録音や再生の技術的な歴史は全て知っていただろう。オーディオの技術が、1881年にバイノーラル効果が発見され-一般の方々にどれほど知られていたかはわからないが-それは少なくとも19世紀末には当時の音響の技術者の間ではすでに広く知られていたはずだ。そしてステレオ録音やステレオ再生の技術がそこに注ぎ込まれていった。そういう経緯をハリー・ピアソンは身近に感じていたからこそ日本メーカーがラジカセに「Hi-Fi」のロゴを付けて大量に売りまくっていたことに腹を立て、「ハイエンド・オーディオ」という言葉を新たに作った、と推測する。 

 

 最初のSN社の話に戻ると、もう録音とかレコードの歴史や経緯について知らなくなってきているのかなという感じがする。オーディオメーカーなのだから評論家と接する機会もたくさんあるはずだ。以前のオーディオ評論家はSPからLP、モノーラルからステレオというレコードや録音の変遷を体験した方々ばかりだった。メーカーの方が「70年代にレコードがステレオ化された」などと言おうものなら直ぐに評論家に咎められただろう。知っていて当たり前と思っていたことがメーカーや評論家でさえ知らなくなってきている。メーカーの方が事実と違うことを言ったから批判するというよりは、もうそんな時代になってしまったのかという嘆息しかもれてこない。

 日本では「ハイエンド・オーディオ」という言葉は「超高額オーディオ機器」というイメージが定着してしまったので、ハリー・ピアソン氏が提唱した「三次元的に広がるような定位感を再生するシステム」という意味での「ハイエンド・オーディオ」という言葉は定着しないだろう。日本のメーカーもそのことはわかっていて、デノンは「ビビッド&スペーシャス(Vivid&Spacious)」、ヤマハは「サウンドイメージ」という言葉を使っている。

 それにしてもES社の方はよく当時の日本メーカーの阿漕な商売の仕方を話したなと思う。穿った見方をすると、SN社の方が明らかに事実について間違った発信をしているので先に手を打ったということなのかもしれないが、真相はわからないし、訊いても本当のことは言わないだろう。

オーディオのこと 62(クラシックレコードの分類)

 レコードやCDなどの枚数が増えるとどのように分類して整理するか、についてはなかなか悩ましいものがある。クラシック音楽は通常、交響曲管弦楽曲、協奏曲、室内楽曲、器楽曲、声楽曲、オペラ、音楽史などのジャンルに分類されている。

 何千枚もあるレコードを普通はこのジャンルに分類してその中で作曲家別に分ける、というのが一番多いと思う。

 交響曲管弦楽曲、協奏曲はオーケストラが入っている。交響曲と協奏曲は曲名に交響曲、協奏曲と付いているのでわかりやすい。もしその作曲家が複数の曲を書いていれば交響曲第1番、交響曲第2番と称されることになる。協奏曲はソロ楽器とオーケストラの曲で、ソロ楽器によってピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲などと称される。管弦楽曲交響曲でも協奏曲でもないオーケストラ曲の総称で交響詩バレエ音楽、序曲などがある。交響曲や協奏曲と違って第○番ではなく標題が付いている。管弦楽曲管弦楽曲○○という呼び方はされず、作曲家名+ジャンル+標題となる。例えばR・シュトラウス交響詩ドン・ファン」、チャイコフスキーバレエ音楽白鳥の湖」と称される。

 室内楽は複数の小規模な編成の曲で器楽曲はソロ楽器の曲となる。○○ソナタという曲があってもピアノソナタはピアノだけなので器楽曲となるが、ヴァイオリンソナタはヴァイオリンにピアノの伴奏が付くので室内楽となる。器楽曲はピアノの他にはパイプオルガン、チェンパロとヴァイオリンとチェロのピアノ伴奏がない無伴奏の曲と大体決まってくる。

 室内楽はピアノ伴奏付きのヴァイオリンとチェロの他、ピアノ三重奏(ピアノ+ヴァイオリン+チェロ)、弦楽四重奏(ヴァイオリン2+ヴィオラ+チェロ)、弦楽五重奏(ヴァイオリン2+ヴィオラ2+チェロあるいはヴァイオリン2+ヴィオラ+チェロ2)、弦楽六重奏(ヴァイオリン2+ヴィオラ2+チェロ2)となる。七重奏、八重奏もあるが管楽器と弦楽器による構成の曲と弦楽器のみ構成による曲もある。

 その他に木管五重奏(フルート、オーボエクラリネットファゴット、ホルン)、セレナード(小夜曲)、ディベルティメント(嬉遊曲)といった曲もある。

 声楽曲は主に歌曲と合唱曲に分かれる。歌曲の中心となる曲はドイツリートでシューベルトシューマンブラームスが中心となる。ソロ歌手にピアノ伴奏が付く。合唱曲はソロ歌手と合唱とオーケストラによる曲で、受難曲、ミサ曲、オラトリオ、レクイエムなどがある。受難曲は新約聖書福音書(イエスの受難)を題材にしていてバッハのマタイ受難曲ヨハネ受難曲が有名である。ミサ曲はカトリック教会のミサ(聖体拝領)で歌われる曲で作曲家名が冠される。オラトリオは物語性のある合唱曲でヘンデルメサイヤハイドン天地創造、四季などがある。レクイエムは死者を追悼する曲で作曲家名を冠している。

 オペラもソロ歌手と合唱とオーケストラの曲だが、演劇のように筋書きのある劇で演出も加わる。オペラは通常、歌劇と訳されるがワーグナーの後期作品は楽劇と標記されることがある。オペラには必ず題名が付いていて作曲家名の次に歌劇(楽劇)の題名が付けられている。

 その他に音楽史という分野もあり、バロック以前のグレゴリオ聖歌とかルネッサンス期の音楽などがある。

 

 以上がクラシック音楽の分類になる。数百枚、数千枚のレコードやCDもおおよそこの分類にしている。例外として特定のシリーズ、特定の演奏家のレコード、CDを別にするということもある。これはそのシリーズ、その演奏家のレコード、CDの枚数が多いときは作曲家別に整理するよりはわかりやすく探しやすい。

 

 交響曲管弦楽曲、協奏曲、室内楽曲、器楽曲、声楽曲、オペラに分類したら、次に作曲家別に分ける。問題はその次で作曲家をどの順番で並べるかということになる。私は作曲家を生年の古い順に並べることにしている。しかし、「名曲名盤選」とか演奏家ディスコグラフィでは作曲家をアルファベット順に並べている。レコードを探す時は年代順に並べた方が曲を探すときにこの辺りだろうと検討を付けやすい。書籍であればアルファベットの文字を順に追っていけばいいのでそれほど困ることはないので使い分けてもそれほど不都合だと思ったことはない。

 分類していくとどの辺りのジャンルや作曲家の作品が多いか少ないかが目で見てわかってくるので整理は小まめにするようにして次にどの作曲家のどのジャンルのレコードを買うかという参考にしている。

オーディオ試聴会 25(プリメインアンプ比較試聴会)

令和5年(2023年)12月2日、ラックスマン、エソテリック、アキュフェーズのプリメインアンプ比較試聴会に行ってきた。場所は大阪屋6階の試聴室。講師はメーカーの方々だった。

試聴会での使用機器は次の通り。

ラックスマン

SACDプレーヤー D-07X  定価:825,000円(税込)

・ネットワークトランスポート NT-07 定価:594,000円(税込)

・プリメインアンプ L-505Z  定価:385,000円(税込)

・プリメインアンプ L-509Z  定価:990,000円(税込)

 

○エソテリック

SACDプレーヤー K-1XSE 定価:3,520,000円(税込)

・プリメインアンプ  F-01 定価:1,980,000円(税込)

 

○アキュフェーズ

SACDプレーヤー DP-770 定価:1,507,000円(税込)

・プリメインアンプ  E-800 定価:1,133,000円(税込)

・プリメインアンプ  E-4000 定価:693,000円(税込) 

 

※スピーカーは共通でB&W 801D4 定価:2,673,000円 (1本/税込) 

 

最初はラックスマンのL-505Zの試聴から始まった。

・ヘイリー・ロレン いとしのエリー 

 女声ヴォーカルが屈託なく再生されている。

 基幹回路をライフスに変更した。無帰還回路のような瑞々しさをねらった。

ヒラリー・ハーン バッハヴァイオリン協奏曲第2番

 高い弦の音がきつい。

・スワンダフル ダイアナ・クラールトニー・ベネット

 帯域は上から下まで出ている

ボブ・ジェームス サックスの曲

サラ・オレイン 美女と野獣

 L-509Zに変更

サラ・オレイン 美女と野獣

 全体的に余裕のある鳴り方になる。高域のきつさもなくなる。

ベルリオーズ 幻想交響曲 第5楽章

 オーケストラの迫力は出る。特定の帯域が強調されて不自然なところもある。

・バッハ マニフィカト

 迫力はあるがやはりうるさい。

 

○エソテリック

 F-02は、今回、間に合わなかったのでF-01のみの試聴会となった。

シューベルトアヴェマリア クリス・ボッティ トランペット 

 F-01はプリ部がよくなった。C-1Xからのフィードバック。

 C-1Xはアメリカの雑誌ステレオファイルで賞を取った。この賞を取るのは大変らしい。70年代末期に日本が中国で製造したラジカセに「Hi-fi(高忠実度再生)」のロゴを貼って大量に世界中に販売していた。それに反してステレオファイルは「もうHi-fiという言葉はもう使わない、その代わりにハイエンドオーディオを使う」と唱えた。そのためアメリカでは日本製品に対する偏見があるらしい。

 F-01は0.1㏈ステップでヴォリュームを調整している。

・井筒かなえ 飛行機雲 生々しさがある。

 プリの音質は電源が7割を支配するらしく別電源ユニットも発売される。パワー部はS-05に近くステージの奥行き感が出る。

サン=サーンス 死の舞踏

 ラックスよりも嫌な音はしない感じ。30Wでも十分なドライブ力。

ジェフ・ベック 2007年ライブ

 低域ベースの音に迫力がある。

エヴァ・キャシディ ナイト・バード

 

○アキュフェーズ

 E-4000から試聴。

・マリーヒル? 男性と女性のヴォーカル

 ダンピングファクターは低域の制動力を示すとアキュフェーズは主張している。

・ハロルドマーベルン? ジャズバンド、各楽器が活き活きとしている。

 ヘッドフォン端子も充実している。

スターウォーズ インペリアルマーチ ジョン・ウィリアムズ ウィーン・フィル

 迫力ある再生音

・ジョー キャラバン

 E-800に切替え。同じ曲 4000は迫力、800は落ち着いた感じ。

シューベルト ピアノ五重奏曲 鱒 田部京子

 迫力がある。

 E-800は上級機に採用しているバランスAVAAをヴォリュームに使用している。ゲインが違うアンプを組み合わせて2の16乗とおりのヴォリューム値にできる。パワー部はA-48相当。

ピアソラ タンゴの歴史 五明カレン(ヴァイオリン)

 ヴァイオリンはきつい。聴き疲れがする。

石川さゆり ウィスキーがお好きでしょ

 ウィスキーの「キ」の音がきつい

札幌交響楽団 hitaruシリーズ定期演奏会 第15回

 令和5年(2023年)11月21日札幌文化芸術劇場hitaruで第15回hitaruシリーズ定期演奏会を聴いてきた。指揮は、首席指揮者のマティアス・バーメルト、ピアノ独奏はドイツのゲルハルト・オピッツだった。

 プログラムは、

間宮芳生:オーケストラのためのタブロー2005

モーツァルト交響曲第40番

ブラームス:ピアノ協奏曲第2番

 

 1曲目は「オーケストラのためのタブロー」。編成は14-12-10-8-7。「タブロー」とはプログラムによると「絵画的描写」のことらしい。絵画的なイマジネーションに富んだ曲で空間に様々な楽器響きを慎重に奏でていた。

 2曲目は「交響曲第40番」。編成は14-12-10-8-7で響きが厚いモーツァルトが聴けた。モーツァルトのオーケストラ曲は録音ではいいけどコンサートではあまり良くないと思うことが多かった。編成が小さく、音に厚みがなかった所為もあっただろう。今回の演奏は14型のフル編成で低弦の旋律も聴き取れ、ヴァイオリン群との掛け合いもよく聴き取れ、旋律の絡み合う様がわかりやすく、テンポも中庸で快演だった。反復も省略されていなかったと思う。

 3曲目は「ピアノ協奏曲第2番」。編成は14-12-10-8-7。札響とオピッツさんの協演は2020年12月以来となる。この時の曲目はブラームスピアノ協奏曲第1番だった。明快なタッチのピアノと厚い響きはブラームスに相応しく、今回も期待が持てた。冒頭のホルンがホールに響いたときから演奏に引き込まれた。明快なタッチのピアノがそこに加わる。この曲はピアノのソロが際立つというよりはオーケストラとピアノが一体になって響きを創るような曲だが、バーメルトさんの指揮とオピッツさんのピアノがとてもよく息が合っていて「ブラームスピアノ協奏曲第2番の世界」を創り出していた。一日だけではもったいないような演奏だった。

第657回札幌交響楽団定期演奏会

令和5年(2023年)11月11日、12日、第657回札幌交響楽団定期演奏会を聴きに行ってきた。

 指揮は来年度から首席客演指揮者となる下野竜也。ソプラノは石橋栄実。当初の予定ではヴァーグナー(ヘンツェ編):ヴェーゼンドンクの歌を池田香織メゾソプラノ)が歌う予定だったが、病気療養中のため出演が叶わず曲目と歌手が変更になった。

開演前のロビーコンサートは第1ヴァイオリン奏者の河邊俊和でイザイ:無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番だった。

 

プログラムは、次の通り。

・ベルク:7つの初期の歌

     Ⅰ:夜、Ⅱ:葦の歌、Ⅲ:ナイチンゲール、Ⅳ:夢の冠、Ⅴ:部屋で、Ⅵ:愛の賛歌、Ⅶ:夏の日

マーラー交響曲第7番「夜の歌」

 

 1曲目は「7つの初期の歌」。編成は両翼配置の10-8-6-4-4。今回が札響初演。作曲家のアルバン・ベルクシェーンベルクの弟子だった。ベルクはドイツ・リートの影響下多数の曲を作曲していた。石橋さんの声は滑らかで表情も豊かだった。

 

 2曲目は「交響曲第7番」。編成は両翼配置の14-12-11-8-7。冴え渡る金管楽器の導入部がホールに響き、弦楽器が厚みを持って押し寄せる。その中を木管楽器が突き抜けるように聞えてくる。これこそマーラー交響曲だと実感できる音に包まれながら、普段はあまり馴染みがない曲にも関わらず、最後まで聴き通すことができた。2日間とも聴くことができてとてもよかった。

 この曲には「夜の歌」とあるとおりセレナードなどにも使われるマンドリン、ギターも使われている。それがオーケストラの音にかき消されずに聞えてくるのはKitaraホールの音響の良さだろう。ホールによっては聞えにくいコントラバスファゴットなど弾いているのは見えるのに音がさっぱり聞えてこないというホールも珍しくない。楽器が重なる箇所でもある音が聞えても違うが音加わるとそれまでの音が聞えなくなるということがなく、音が足し算されて音響に厚みが増していく。そういうKitaraホールの特長が、マーラー交響曲を聴いたという実感を味わえたことにつながったと感じた。

 

第656回札幌交響楽団定期演奏会

 令和5年(2023年)10月8日、第656回札幌交響楽団定期演奏会を聴きに行ってきた。

 指揮はオーボエ奏者で有名なハインツ・ホリガー、コロナ禍で一度来日が中止になったことがあったが今回で4度目の共演となる。ソプラノはサラ・ヴェゲナー。

 開演前のロビーコンサートは第2ヴァイオリン奏者の鶴野紘之でバルトーク無伴奏ヴァイオリン・ソナタより第1、第4楽章だった。

 

プログラムは、次の通り。

ラシーヌ:愛-大管弦楽のための

・ホリガー:デンマーリヒト-薄明-ソプラノと大管弦楽のための5つの俳句

・ヴェレシュ:ベラ・バルトークの思い出に捧げる哀歌

バルトーク弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽

 編成は14-12-10-7-7。

 

1曲目は「愛-大管弦楽のための」。

2曲目は「薄明」。ソプラノが入り下を巻くような歌い方から始まっていた。

 アンコールは、ハインツ・ホリガークリスティアン・モルゲンシュテルンの詩による6つの歌より"憂鬱な小鳥"だった。

3曲目は「哀歌」。

4曲目は「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」。編成は変わらないが第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが左右に半分ずつに分かれた配置になった。

 

 どの曲も札響初演か2回目という曲で聴くのも初めてという曲ばかりだった。弦チェレもレコードはあってもあまり聴くことはない。そのためこれといって特に感想というのもないが曲の雰囲気をよく出した演奏のように感じた。弦チェレはこれだけの難曲を退屈せずに聴けたのでとても良かったのだと思う。