オーディオのこと 52(さっぽろAVシアター)

 「さっぽろAVシアター」(始まった当初は「教文レコードジャーナル」)は(財)札幌市教育文化財団が運営する教育文化会館(以下教文)内の視聴覚センターの催しで83年1月が1回目だった。前年にCDが発売されたことをきっかけにクラシックの新譜紹介とCDとレコードの聴き比べをしようということから始まった催しで毎月1回2時間開催されていた。初めて来たのは83年11月(第11回)。札幌市教育文化会館4階の視聴覚センター(今は宮の沢の「札幌市生涯学習センター『ちえりあ』に移設)にレコードを聴きに行ったら偶然この催しをしていた。その日、会場内は椅子が全部埋まっているほど一杯で後ろの方で立って聴いていた。講師は谷口静司さんという方で、札幌交響楽団(以下札響)が設立された頃に事務局長に就任され、当時は札響の主幹という肩書きだったと記憶している。谷口さんは86年まで札響と関わっていた。

 この2時間にわたる催しが毎月開催されていると知り、次回から早く来るようにした。しかし、その後は座席の半分ぐらいしか埋まらず、10人いるかいないかという感じだった。

 85年にフィリップスからLHH2000という業務用CDプレーヤーが出るとそれがとても音がいいということから、翌86年、これを最高級の装置でじっくり聴くためにCDコンサートスペシャルが新たに開催された。これは86年から98年まで13回開催された。この1回目のCDコンサートスペシャルは新聞でも告知されたためか大好評で2日間とも超満員だった。それからは毎月のAVシアターにも20人ぐらい常時来るようになった。

 

 当初「教文レコードジャーナル」として始まったこの催しはCDの普及によりレコードの新譜がなくなってきたことから「教文CDジャーナル」となり、次に映像ソフトが増えてきたことにより「教文AVジャーナル」となった。2002年に教文視聴覚センターから、みべ音楽院に場所が移ることに伴い、「さっぽろAVシアター」となった。ここでは「さっぽろAVシアター」で統一しておく。

 「さっぽろAVシアター」は82年に世に出たCDが、いかに音が良いかということを少しでも多くの方々に知ってもらいたいという目的で始まった。当初はレコードとCDを同一音源で聴き比べるという試みを盛んにしていた。オーディオ機器は教文視聴覚センターの備品だった。CDプレーヤーはNECのCD―803という縦にCDを入れるというもの。レコードプレーヤーはテクニクスのSL―1000markⅢ、カートリッジはその都度、谷口さんがいろいろなカートリッジを持ってきていた。アンプはプリアンプがアキュフェーズのC―200X、パワーアンプが同じくアキュフェーズのP―266、スピーカーがダイヤトーンのDS―5000と、国産の高級機が揃っていた。  

 その時の谷口さんの話は「CDでもレコードも同じような音質ですが、レコードではプレーヤー、アーム、カートリッジを含めるとCDの何倍ものお金がかかる。」だからCDは割安だというような趣旨の内容だった。初めて聴いた曲はマゼール指揮、クリーブランド管弦楽団くるみ割り人形の小序曲。

 「さっぽろAVシアター」は当初、クラシック音楽の新譜紹介とレコードとCDの聴き比べだけだったが、来場者の方からもっと安いオーディオ機器も聴いてみたいという要望があり、当時売れ筋だった10万円ぐらいのスピーカーを試聴するということからオーディオ機器の試聴も始まった由。この11回目のときにはパイオニアのS―933というスピーカーがあった。その後、トリオのLS―800も聴いた記憶がある。そのうち10万円台のスピーカーからフォステックスのGZ2001、B&OのMS150という20万円前後のスピーカーも聴いた。このようにして当初、新譜をCDとレコードで聴き比べることが目的で始まったこの催しが、次第にオーディオ機器の聴き比べという面を併せ持つようになっていった。

 CDとレコードの聴き比べは多分86年ぐらいまでだった。この頃にはクラシックの新譜はCDばかりでレコードで出ることがなくなっていた。アナログ関連の新機種も86年に出たビクターのMC―L1000というカートリッジ以降はカートリッジの新機種を試聴するということがなくなった。また、この頃にはCDプレーヤーも普及機からセパレートタイプの高級機が出てくるというように機種が増えてきた。

 85年にこの「さっぽろAVシアター」の会場に音がいいからというのでオヤイデのテーブルタップを持って行ったことがある。そこで今までのテーブルタップと聴き比べたところ谷口さんも音の変わりように驚き、それからアクセサリー類の試聴もするようになった。

 86年2月頃、そのオヤイデのテーブルタップとオーディオテクニカのテーブルタップの比較試聴した結果をレポートしてAVシアターで発表するよう谷口さんから頼まれAVシアター初の来場者レポートを担当したことがある。その後も何度かレポーターをした。

 92年12月、第120回で当時購入したウエスギのプリアンプU・BROS-12とパワーアンプUTY―8を持ってきて試聴した時、第129回で、使用していたビクターのVHSビデオデッキHR―20000とHR―X3との比較を頼まれた時、いつかは忘れたがインフラノイズの電源用ノイズフィルター、パワードーナッツPD―1について効果を試すように頼まれた時、の全部で4回だと思う。

 ただ、この自分でいいと思ったオーディオ機器やアクセサリー類を「さっぽろAVシアター」に持ち込んで試聴するというのも少し余計なことをし過ぎかなという感もあり、それについてレポートというのも差し出がましいようなきがしてきたので、以後、あれを買ったこれを買ったというような話はできるだけしないようになった。

 この催しに長らく通っていたので、将来、オーディオ機器を揃えるときは教文の備品でいつも使用されて好評だったアキュフェーズとダイヤトーンの組み合わせにしようと思っていた。CDプレーヤー、プリアンプをアキュフェーズにスピーカーをダイヤトーンに替え、後はパワーアンプだけとなったところまでは揃えた。

 しかし、ある時、たまたまオーディオ店に手作りの真空管アンプが置いてあり、何となく興味があったのでそれを借りて自宅で試聴させてもらったところ、今まで聴いたことがないような生き生きとした音が出たことに驚いた。いろいろ迷ったが、路線変更することに決め、パワーアンプ真空管アンプで定評があったウエスギのU・BROS-11という製品に替えた。ただ、その時は期待通りの音は出なかった。

 CDプレーヤーをアキュフェーズの一体型の高級プレーヤーに替えても、モノラル録音の演奏はCDよりもレコードの方が音はいいと思っていた。しかし、時代の趨勢からアナログ関連機器はそのうちなくなるのではという虞があったので、90年頃、最後まで生き残るアナログ機器としてオルトフォンのSPU、SMEのトーンアーム、トーレンスのプレーヤーにアナログシステムを買い替えた。それでもまだ納得が行く音は出なかった。

 92年にウエスギからUTY-7というフォノイコライザーアンプが発売されたことを機に、全部ウエスギアンプにすることにした。UTY-7と当時使っていたアキュフェーズのC280LはインピーダンスマッチングがとれないのでプリアンプもU・BROS-12に替えた。これでアンプは全てウエスギの真空管アンプになったがそれでもまだ納得がいかず、パワーアンプも新製品のUTY-8に替えた。それでようやく目指していた生き生きとした音が出てくるようになった。とても気に入ったので是非、これをAVシアターでも聴いてみたいと谷口さんに相談したところ面白そうだということになり、第120回で試聴することになった。その時にソニーの新製品のパワーアンプTA-NR10という一台80万円のモノラルアンプと比較することになった。このアンプをAVシアターの前に自宅でも比較試聴させてもらったが、きれいな音はするがどうにも抑揚のない素っ気ない音だったのですぐに担当者の方に引き取ってもらった。結局、当日のAVシアターの会場でも同じような結果だった。

 

 しかし、話はこれで終わらなかった。翌93年2月の第8回スーパーAVコンサートでプリアンプがテクニクスSU-C7000というバッテリー駆動のプリアンプ、パワーアンプソニーTA―NR10、スピーカーがJBLプロジェクトK2―S5500だった。その時の谷口さんの言葉が「今までこの視聴覚室で聴いた中で一番音がいい」と話したことをいまでも覚えている。これは2ケ月前にここにウエスギのアンプを持ってきた私に対する挑発か何かだったと思った。このように言うと私の方から前の方がよかったとか、やはりこちらの方がいいとか何某かの反応をしてくると思ったのではないだろうか。私がもし何か言ってきたときにはそれなりに言い返す言葉ぐらい谷口さんのことだから用意していただろう。しかし、私は何も聞かなかったように何の反応もしなかった。

 またこの93年にはスピーカーも谷口さんが推薦していたダイヤトーンのスピーカーからあまりよく言わないタンノイの製品に替えた。「さっぽろAVシアター」に長く通っていたにも拘らず、ここで紹介しなかった機器を買ったということをわざわざ言う必要もないと思ったので、新しく何かを買ったという話はしないことにしていた。

 94年、私ともう一人の常連の方で谷口さんに食事に連れて行ってもらったことがある。AVシアター終了後、北海道神宮近くのレストランに行った。そこで「さっぽろAVシアター」終了後の午後4時頃からいろいろと話をしていたらあっという間に午後9時ぐらいになっていた。そこで、谷口さんから聞いた話で今でも覚えているのは「子供も本州に行っていないし、札幌や北海道の将来なんて別にどうなっても構わないと思っている」というようなことを目の前ではっきりと言われてかなり驚いたことがある。地元に厳しいことを言う方だなとは思っていたが、そこまではっきりと突き放して言われるとは思っていなかった。

 このことに加え、ウエスギの真空管アンプやタンノイのスピーカーを使用するようになると、毎回、紹介されるオーディオ機器についても以前ほど音がいいと思うことがなくなっていた。それに「さっぽろAVシアター」で紹介されて音質向上に効果があるとされたアクセサリー製品も使用してみたが、結局は使わなくなるということも重なり、谷口さんとは音や演奏や音楽の好みが違うということをはっきり意識するようになった。そのため谷口さんがこれはいい、あれはいいというような話を聞いてもそのまま受け取るわけにはいかないと考えるようになり、少しずつ距離を置くようになっていった。

 98年度からクラシック音楽業界では販売不振からメジャーレーベルの大規模なリストラが断行され、クラシックの新譜が急激に少なくなった。また谷口さんの健康面(心臓にペースメーカーを入れていた)のことなどから「さっぽろAVシアター」は毎月開催から隔月開催になった。この頃から外国盤の中古レコードを蒐集するようになり、CDを買うどころか聴くこともほとんどなくなった。「さっぽろAVシアター」はもともとCDでクラシックの新譜を聴くということが目的の催しなので、CDを聴くのを止めてレコード、それも日本盤ではなく外国盤のLPを今は聴いているということは最後まで谷口さんには直接言わなかった。それでも「さっぽろAVシアター」は一番関心を持っているレコードのことを取り上げないけれども、聴く機会がなくなった新しい演奏家の演奏やオーディオの新製品がどんな音がするかを試聴できる貴重な催しだった。下手に今はレコードしか聴かないと言おうものなら、CDを聴かないならなぜこの催しに来ているのかと訊かれて面倒なことになるので、レコードを聴いているということは最後まで言わないでいた。

 2002年に視聴覚センターが教育文化会館内から宮の沢の「ちえりあ」に移ることになったため、会場が教文の近くにある「みべ音楽院」に移った。主催も視聴覚センターではなくなるため名称も「さっぽろAVシアター」となった。

 すでに「さっぽろAVシアター」は自分の関心事から遠いものとなっていたが、谷口さんの健康状態もあまりよくない様子で、後、何年続くかわからないし、せっかくここまで通い続けたのだから最後まで見届けようと思っていた。しかし、もうLPしか聴いていないというようなことは話したくなかったので谷口さんと話すことはできるだけ避けるようにしていた。2011年12月のブログ(甘口時評)にもレコードプレーヤーは何時でも使えるようにしているが出番がない、ということを書かれていたので特に何も話すこともないと思っていた。

 そんな中、谷口さんと最後に話したのは、多分、2012年だと思う。「さっぽろAVシアター」が始まる前に谷口さんから「お久しぶりです」と話しかけられた。突然話しかけられたことに少々驚きながら「いつも来てますけど。」と答えた。すると「まだあの真空管アンプを聴いているんですか。」と訊いてきた。20年前に「さっぽろAVシアター」に持ってきたあのウエスギの真空管アンプのことをまだ憶えていたのかと思いながら、「はい」と答えると、「○○(その頃試聴したアインシュタインかエソテリックかオクターブのことではないかと思うがよく聞き取れず訊き返しもしなかった。)の真空管アンプの方が音はいいですよ」と言ってきた。あっちの方がいいと言われても比較の仕様がないのであまり関心がないような素振りをして、「ああ、そうですか」とだけ答えた。実は、この前年にパワーアンプを1台追加してバイアンプ駆動をするためいろいろと細かい調整をしている時だった。バイアンプのことを話して20年前のようにレポートを頼まれるようなことになっては敵わないし、この「さっぽろAVシアター」でするような話でもないと思い、とにかく訊かれたこと以外の話はしないことにして会話はそこで終わった。結局、これが谷口さんとの最後の会話になった。

 「さっぽろAVシアター」の最終回は2013年12月の第269回だった。終了後、かなり疲れた様子で椅子に座り込む姿を見たのが最後だった。次回の告知もあったが開催されることなく谷口さんは翌年7月に亡くなられた。

 漠然と考えていた「さっぽろAVシアター」の最終回は、次回で最終回ですという告知があって、その最終回に労いの言葉で終了というようなことだった。それが突然、終わってしまい心の準備をしていなかった。そのため30年分の様々な思いを文章に整理しながら、本当に終わったんだなという気持ちの整理をつけている。

 

谷口さんについて

・好きな作曲家、嫌いな作曲家

聞いた話を整理すると好きな作曲家はバッハ、モーツァルトドビュッシー

嫌いな作曲家はベートーヴェンチャイコフスキーマーラー

 

・谷口さんの音の好みとオーディオ感

 音の好みとオーディオについての考え方は、高城重躬という原音再生の権化のような方の考え方に近かったと思っている。高城氏はゴトウユニットを用いて天井をウーファーにするなどしてオールホーンシステムで原音再生を目指した。早くからインピーダンスが高く出力トランスを必要とする真空管アンプよりもインピーダンスが低く出力トランスが不要になる(いわゆるOTL)トランジスターアンプの優秀性を主張していた。CD発売当初からLPよりもCDの音が優れていることも主張されていた。この辺りは谷口さんの考え方と共通していたと思う。そんなことから意図的なのか結果的なのかはともかく、高城重躬氏の考え方に近いと思っていた。この高城重躬氏とよく論争していたのが作家の五味康祐氏。この方はマッキントッシュ真空管アンプとタンノイオートグラフの組み合わせこそが最高であると主張していた。

  

・谷口さんの好きな演奏家

 好きな演奏家はたくさんいたと思いますが、指揮者ではトスカニーニだったらしい。トスカニーニとよく比較されるフルトヴェングラーについてはあまりよくは言っていなかった。

 

 以上は谷口さんが亡くなられたときに「さっぽろAVシアター」の常連の方々と「偲ぶ会」で話そうと思っていた原稿をブログ用に書き直した文章だが、「偲ぶ会」で発表することはなかった。谷口さんが亡くなられた後、自宅に残ったレコード1万枚、CD2万枚を「さっぽろAVシアター」に来ていた常連の方々で分け合って欲しいと遺族の方からの申し出があり、何度も通って千枚ほど持ち帰った。全てメーカーからの試聴盤なので中古CDを扱う店では引き取らないらしい。レコードはテラーク盤と札響のレコードだけを引き取ってきた。残りのレコードは市内の中古レコード店が引き取ったようだ。

 「さっぽろAVシアター」が終了してオーディオ機器を聴く機会がなくなってきたと思っていると市内のオーディオ店大阪屋が試聴会を盛んに開催するようになった。オーディオメーカーの方から直接話を聞く機会が格段に増えたが、クラシックの新譜を試聴する機会はほとんどなくなった。